狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『浅草公園/芥川龍之介』です。
芥川龍之介 さんの『浅草公園』は文字数10000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約27分。
この世界は夢か現か。
ゆらめく浅草仲見世。
可憐な少年は父を捜して彷徨い歩く。
九重、人形焼、プリン、じぇらぁと、メロンパン、
狐人は食を探して食べ歩く?
ちなみに浅草仲見世には免許返納の特典があります。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
(シーン1)
浅草の仁王門の中に吊った、火のともらない大提灯。提灯は次第に上へあがり、雑沓した仲店を見渡すようになる。ただし大提灯の下部だけは消え失せない。門の前に飛びかう無数の鳩。
(ここは現実なのか……、あるいは夢の世界なのか……)
雷門から続く仲見世を歩く父子がある。父親は田舎者らしく、十二三歳の少年は可憐な顔をしている。おもちゃ屋の店先で猿のおもちゃを眺めていた少年は父親とはぐれてしまう。少年は父親を捜してこの不安定な世界を一人彷徨う。
マスク男、洋装した二人の少女、眼鏡をかけた西洋人形の首、鬼百合の造花、煙草の煙の中に浮び上がる城門、浮かび上がるメッセージ、鳴り響く鐘の音、射撃屋で少年の撃ったコルクの弾丸、仰向けに倒れる西洋人形、背後の暗、劇場の裏、一匹のブルテリア、窓に映る踊り子、少年の受け取った花束は茨に変わる、変わる掲示板の文字・露店の標札に記された名前、風に飛ばされる帽子、少年の絶望の表情、カフェ、砂糖の塔、生菓子、麦わらパイプのソーダ水、中年夫婦、女はマントを着た子供を抱いている、にこにこ、薔薇の花が落ちる、自動計算器、抽斗、お金ばっかり、呉服の糶り商人、帯からこぼれる雪の結晶、メリヤス屋の露店、婆さんと黒猫、星の輝く夕空、浮かぶ父の顔、愛情と無限の悲しみ、霧のように消える、再びマスク男、サンドウィッチマン、松葉杖の廃兵、急げ、急げ、透明になるポスト、透ける無数の手紙、通り過ぎる二人の芸者は無表情、少年の寂寥、少年に似た声色遣い、理髪店の棒に変わるかもじ、セセッション風の病院、遠くを眺める看護婦、婚約指輪が重力に引かれて落ちる、透けるコンクリート塀、鉄格子の中の猿たち、操り人形の舞台に変わる、西洋風の部屋、覆面の西洋人形、金庫を開ける、手足についた操り糸、大きい常磐木、下にあるベンチ、少年の横に座る背むし、焼き芋を食べる、少年が立ち去ったあとには蟇口、中を検べる背むしが分裂する、背むしばかりのベンチ、写真屋の飾り窓、写真の中で老いていく男女、変わらない顎髭の老人、しかし顔は背むしになった、観音堂の上に三日月、その下を歩く少年、手水鉢に映る憔悴し切った少年の顔、大きい石燈籠の下部、少年は泣く、三度マスク男、父親に変わる、石燈籠の上部、柱を残して、炎になって舞い上がる、炎ののちそこに咲いた菊の花一輪、巡査に保護される少年、静かに歩いて行く、大きい石燈籠の下部、今度はもう誰もいない。
(シーン78)
前の仁王門の大提灯。大提灯は次第に上へあがり、前のように仲店を見渡すようになる。ただし大提灯の下部だけは消え失せない。
(……これ、あらすじになってないかなあ、……ま、まあ「狐人的あらすじ」なのでご容赦ください)
狐人的読書感想
九重、雷おこし、人形焼、おせんべい、きびだんご、どら焼き、メロンパン、じぇらぁと、メンチカツ、芋きん、肉まん、シューマイ、大学芋、たい焼き、プリン、ちょうちんもなか、カレーパン、
……浅草といえば、なんか食べ歩き、といった感じがしますが、いかがでしょうか。
そして、『浅草公園/芥川龍之介』といえば、なんかいい小説、といった感じがしますが、いかがでしょうか。
「なんかいい小説」なんて言うと、浅い感想……、とか思われてしまいそうですが、深い意味を感じ取れなくてもなんかいい小説、というものが僕にはあって、やっぱり深い意味を感じ取れる小説が感心させられて好きだなあ、とかいままでは思っていたのですが、最近は意味不明でもなんかいい小説もいいなあ、と感じています。
(最近読んだ、なんかいい小説はこちら)
(なんか夏目漱石 さんばっかりに……)
サブタイトルに『――或シナリオ――』とあるように、まさに映像化したら映える作品だと思うのですが、映像化作品はないみたいですねえ(狐人的に調べたかぎり)。
『――或シナリオ――』とあるように、この小説はカメラワークを感じさせる(たとえば「少年の姿は膝の上まで」といった記述)、まるで映画の脚本のように書かれています。
以前「カテゴリー:狐人雑学」で、「台本形式の小説」というものについて取り上げてみましたが、それともちょっと趣が違うように感じます。
(台本形式の小説についてはこちら)
芥川龍之介 さんの『浅草公園』のような、映画脚本(シナリオ)形式の文学作品を、「レーゼシナリオ」というそうで(ゼーレのシナリオではない)、僕はこの度初めて知ったのですが、大変興味深く思いました。
さらに、冒頭で書いた「夢か現か」みたいな、ある種現実離れした作風は「シュルレアリスム」(超現実主義)と呼ばれるそうで、こちらも非常に興味深いです。
『浅草公園』という作品では、章分けが映画のカット割りのようになっているのですが、それぞれのシーンに印象的なガジェットが出てきて、どこか心惹かれる感じがしました。
そのガジェットが、狐人的あらすじに、ずらずらずらずらずらずらずらずら(ついでにここもずらずら)、書き綴ったワードたちなのですが、どうでしょう、一つや二つ、どこか心惹かれるものがありませんか? (こんなのまともに読んでもらえないかもしれませんが……)
なんとなく西洋的なものが多いような気がしますが、昭和モダン的な時代背景が反映されているのだと見るべきでしょうか。
ちょっと意味のわからなかったものを以下に挙げておきます。
・ブルテリア
犬種。「ブル・アンド・テリア」が省略されて呼ばれるようになったそう。
・メリヤス
平編み(メリヤス編み)で編んだニット製品。
(……そういえば、『どうぶつの森』にいたっけ、メリヤス)
(以下の童話にも出てた)
・サンドウィッチマン
広告宣伝の一つ。人のお腹側と背中側に、宣伝用の看板を取りつけて、サンドウィッチすることから。
ちなみに、お笑いコンビ・サンドウィッチマンのコンビ名の由来は、もともと3(サン)人組のトリオだったこと、元メンバーだった真ん中の人がすごく痩せていて、3人並ぶとまるでサンドウィッチみたいだね、というところからきているのだとか。他の候補名としては三途の川、三角関係、三角州などがあったのだとか。
・背むし
「くる病」と呼ばれる障害。背骨の一部が突出して背中が丸まって見える。猫背とは違う。現在では差別用語なので取り扱いには注意。分裂したのは影分身じゃないよね?
最後にこの作品の全体的な印象ですが。
昭和初期の浅草が舞台ということで、どこか郷愁を思わせるところがありますが、しかしながらその印象は暗いというか、寒いというか、怖いというか、負のイメージが強かったように思いました。
初出は1927年(昭和2年)、周知のとおり、芥川龍之介 さんがこの年お亡くなりになっていることを考えると、その心情がこの作品にも反映されているのかも、と見ることができるかもしれません。
文学史上の有名な論争に「『筋のない小説』論争」というものがありますが、谷崎潤一郎 さんが「物語の面白さ」を重視するのに対し、芥川龍之介 さんはそれだけが小説の質を決めない、と反論したそうで、これがあったのも、1927年(昭和2年)です。
この論争があった年に、『浅草公園』が書かれているのには、なんか意味があったのかなあ、とか勘繰ってしまいそうになりますが、「筋のない小説」というのは、「なんかいい小説」に通じるところがあるような気がするのですよねえ……。
(僕なんかの考えを、文豪と呼ばれる人たちの考えに結びつけるのは、おこがましいような気がしますが)
とはいえ『浅草公園』は、なんかいい小説、でした。
ぜひ、読んでみてもらいたい小説です。
(あと、映像化されないかなあ……)
読書感想まとめ
なんかいい小説!
狐人的読書メモ
『浅草公園』は、その名をあまり聞かない(僕だけ?)、芥川龍之介 さんの短編小説ですが、メジャーではないのでしょうか?
高齢ドライバーの起こす事故ニュースを見ていて。「運転免許自主返納」という制度がありますが、これ、いろんな特典があるというのを聞いて驚きました。たとえば、引っ越し代やホテルレストランの割引、銀行の金利優遇などがあるそうです。で、浅草新仲見世商店街振興組合では、買い物の5%割引やソフトドリンクの無料サービスなどが受けられるのだとか(これが言いたかっただけ、のお話)。
・『浅草公園/芥川龍之介』の概要
1927年(昭和2年)『文藝春秋』にて初出。レーゼシナリオ。著者の没年、あるいは「『筋のない小説』論争」の同年に書かれた小説としても興味深い作品。
以上、『浅草公園/芥川龍之介』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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