狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『古典風/太宰治』です。
文字数11000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約33分。
貴族の放蕩息子が、家の女中と恋をして……みんな幸福に暮した(?)話。主人公の自作小説に、暴君ネロ・クラウディウスが出てくるんだけど……え? 彼女は暴君じゃなくてサーヴァント(召使)?
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
美濃十郎は二十八歳、伯爵家の放蕩息子。ある夜、酒に酔って帰宅すると、家の中がざわめいている。母の居間のまえにさしかかると、「あなたは、私のペーパーナイフなど、お知りでないだろうね」。美濃はいやな顔をして、「存じて居ります。僕が頂戴いたしました」。
……夜明けに目が覚めると、美濃の枕もとに女の子がうつむいていた。「何をしているのだ」。彼女は美濃家の下婢だった。
「もうお帰り。誰にも言いやしない」。彼女は掌中のナイフを、力いっぱいマットに投げ捨て、脱兎の如く部屋から飛び出していった。
尾上てるは、浅草のある町の三味線職の長女として生れた。てるが十三のとき、父は大酒のために指がふるえて仕事がうまくできなくなった。
てるは十八になって、向島の待合の下女をつとめ、そこの常客である爺さん役者をだまそうとしたが、逆にだまされ、ナフタリンを飲んだ。
待合にひまを出されて生家へ帰ると、店は腕のよい実直な職人を捜し当て、店をすべて任せて、回復しかけているところであった。
てるの老父母はこの職人にてるをめあわせるつもりで、当人たちもいやではなかった。てるは花嫁修業をかねて美濃伯爵家で奉公することになる。
奉公にきて二日目の朝、てるは庭先で一冊の手帖をひろった。わけがわからないことがいっぱい書いてある――美濃十郎の手帖だった。
てるは読んでいて不思議な気がし、庭を掃き掃き、幾度も首をふって考え――いわば悪魔のお経が、てるの嫁入りまえの大事なからだに、悪い宿命の影を投じた。
雨降る日、美濃が書斎で書きものをしていると、遊び仲間の詩人が部屋に訪ねてきたので、美濃は自分の労作を大声で読み始めた。
それは、ローマ皇帝ネロの母親として知られている、アグリパイナの物語だった。
――あるとき、てるは美濃伯爵家を解雇されるが、それは美濃とてるとのあいだが露見したからではなかった。
その三日後、美濃はてるの家の店先にふらっと立っていた。
「あの人と、わかれること、出来ないか。僕は、なんでもする。どんな苦しい事でも、こらえる」
てるは、答えなかった。
「いいんだ、いいんだ……」
その後、美濃十郎は、てるとは別の女性と結婚した。
みんな幸福に暮した。
狐人的読書感想
『――こんな小説も、私は読みたい。(作者)』と、太宰治さんは冒頭におっしゃっているわけなのですが、「僕も読みたい!」……とは正直あまりなりませんでした(まったくおもしろくないわけではないのですが)。
『古典風』は、前衛的な実験小説で、読者受けしない難解な小説――ということです。
わかります。
わからないことがわかる、という読書感想の書き出しも、どうかとは思うのですが……。
この作品を要約すると(あらすじでしろ?)「貴族の放蕩息子が家の女中といい仲になる。女はいろいろ悩んで男のもとを去る。結局二人ともそれぞれ別の相手と結婚する」といった感じでしょうか?
身分違いの恋みたいな?
これは昔の貴族の恋、現代でも物語のシチュエーションとして、ありがちなもののように思います。
この作品、そもそものタイトルは『貴族風』だったそうですが、僕にはこの『貴族風』のほうがしっくりくるような気がしました。
物語の主人公である美濃十郎は、伯爵家の放蕩息子で、美濃家の下婢である尾上てると恋をしているわけなのですが、そのことを直接的に描いている部分はなくて、てる視点での美濃への恋のきっかけや、別れの手紙でそれと察することができます(たぶん)。
で、そのことが前半部分で、では、後半部分はといえば、美濃が自分の労作(小説?)を大声で読んでいるシーンなのですが、その内容がローマ帝国第5代皇帝ネロの母、アグリパイナ(小アグリッピナ)についてなのです。
美濃は、てるとのことも含めて、自分の貴族風な境遇のことを、ネロに重ねて描いているようですが、友達が詩人の言うように、たしかに「どうも古い。大時代だ」、つまり古典風だととらえることができます。
皇帝ネロといえば、世界史に詳しくない人でも、その名前くらいは聞いたことがあるだろうというくらい、有名な人物だそうで、僕も名前くらいは聞いたことがあるように思います。
(『Fate』のネロ・クラウディウスの名前を聞いたことがあるだけかもしれませんが……、前回の天草四郎―『島原の乱雑記/坂口安吾』の読書感想―といい、歴史上の有名人がでてくると、どうも『Fate』キャラの連想になることが多いです)
調べてみると、皇帝ネロは暴君として有名みたいです。妻を処刑したり、母を処刑したり、ローマの大火災にかこつけてキリスト教徒を迫害したり……、たしかに典型的な暴君といった感じがします(あるいはこの人から「典型的暴君」のイメージが定着したのかもしれません)。
ネロは、政略結婚の相手であった正妻が気に入らず、解放奴隷の侍女を恋人にした――といったあたり、女中のてるをこいびとにした美濃が、自分とネロを重ねて見ているところなんですかね?
貴族にありがちな、恵まれた家庭ではなかったのだ、ということは、一つ暴君ネロの同情できるところなのかもしれませんが、母であるアグリッピナにしてもそれは同様だったそうなので、やはり家庭環境が人間の人格形成に与える影響というのは小さくないんだろうなあ、なんて実感します。
(ちなみに、暴君ネロは、あの激辛お菓子の「暴君ハバネロ」の名前の由来にもなっているそうです)
最後の『みんな幸福に暮した』の一文には何か感慨深いものを感じましたが、それがなんなのか、言葉にするのがむずかしいです。
結局、過去にどんなに激しくて、燃え上がるような悲恋を経験したとしても、それもいつかは甘くほろ苦い思い出に変わり、実際にした結婚が十全に望んでいないものだったとしても、やがてはそこに幸せを見出せるものだよね、みたいな?
時がすべてを解決する?
(いつかはこの作品を難解だと思わない日がくるんですかねえ……)
今回は理解がむずかしく思った、そんな感じの読書感想でした。
読書感想まとめ
前衛的で難解な小説だといわれていますが、皇帝ネロについてくわしく知っている方には、案外理解が簡単なのかもしれません。僕もいつかはこの作品を難解だと思わない日がくればよいなと思いました(世界史の勉強が必要か……?)。
狐人的読書メモ
・一人のカリスマが一代で社会を激的によくすることがあれば、世襲で受け継いだ平凡な王がその功績を消費していき、やがて暗愚な王が現れすべてを台無しにしてしまう――王制について不思議に思う。
・『古典風/太宰治』の概要。1940年(昭和15年)『知性』にて初出。本作は1937年(昭和12年)に書かれた未発表の旧稿が書き改められたもの。旧稿のタイトルは『貴族風』。前衛的な実験小説、読者受けしない難解な小説、ともいわれている。
以上、『古典風/太宰治』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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