狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『ふるさとに寄する讃歌/坂口安吾』です。
文字数6000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約26分。
私的で詩的で素敵な小説です。
いい文章を読むのが好きな人にとてもおすすめ。
人生に虚無感を感じたことのない人はいないはず。
あなたの求めるものは何ですか?
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
私は存在の希薄化、自分自身が、空気や風景に過ぎないのだと感じている。私は求めることに疲れていた。いろいろなものを求めたが何ひとつ手にすることができなかった。しかし求めずにはいられない。何か求めるものはないか? 思い出の中に少女の面影を探り当てる。
私にとってその少女はさして特別な存在というわけではない。しかし、私は彼女の影を追い求めて故郷の地を踏んだ。行き交うすべての女の中に彼女を探すが、当然見つかるわけがない。彼女とは、私の中で成長した記憶の中の少女であり、いわば一つの概念であり、象徴であったからだ。
概念である彼女を現実の私が追い求めている――私が、そんな私を客観的に眺めるとき、やはり私は、私を風景のように感じてしまう。
姉が病気になり、この町の病院で療養していることを知った。私は躊躇しながらも、ついに姉を見舞った。姉は喜んで私を迎えてくれた。
姉は聡明な人で、よき母で、私を信じてくれていたが、私は姉に会いたいとは思わなかった。風景のような私に、姉の親密さはふさわしくないと感じていたからだ。姉は自分がもう長くないことを知っていた。
彼女の家には別の家族が住んでいた。門のところに幼かった少女の幻影を見た。私は海へ行き、泳ぎ、突然この世を去ることを想像して、怖れた。私は浜へ上がり深く眠った。
その夜は姉の病院に泊まった。私はさらに姉に会いたくなくなっていたのに。実感のない会話を交えるのがイヤなのに。姉は見舞客の嘘に悩み、それに返す自身の嘘にも苦しみ――二人は夜中まで実感のない会話をして、くたびれて眠った。
私は東京に戻ろうと思った。置き忘れてきた私の影が、東京の地で喘いでいた。それでも私は生き生きと悲しみたい。帰らねばならない。
姉に見送られ、汽車が動き出し、私は興奮し、夢中に帽子を振った。
別れのみ、にがかった。
狐人的読書感想
う~む。
私的で詩的で観念的な小説でした。
物語的なおもしろみはあまりありませんが、全体的に惹かれてしまう文章がとてもいいです。
こういう文章が書けるというのは、すなおにすごいなー、というか、才能を感じさせられてしまうところです。
「私」の抱えている虚無感みたいなものにはすごく共感してしまいました。
すべてがむなしい、みたいな、虚無感は誰でも感じたことのある感覚なのではないかと思うのですが、どうでしょうかね?
「私」が虚無感を覚える理由については、明確には書かれていないのですが、『長い間、私はいろいろのものを求めた。何一つ手に握ることができなかった。』という部分が、その主な理由ではなかろうか、と思えて、印象に残っています。
人間どんなときにむなしさを覚えるだろうか、と想像してみるのですが、やっぱり、何か目標に向かってがんばっているときに、なかなか結果が出なかったり、評価を得られなかったりするときではなかろうか、などと思うのです。
努力が必ずしも目に見えるかたちで報われるとはかぎらない、とはわかっていても、いざ夢破れてしまえば、どうしたって虚無感や喪失感を感じてしまうのが人間だという気がします。
じゃあ、最初から何も求めなければ楽に生きられるのかもしれませんが、それで、はたして生きていると言えるのだろうか? ――というようなことは感じてしまいますよね。
『何か求めるものはないか?』
「求めるものを求める」というのもなんだか妙な気がしますが、みんな少なくとも1度は求めるものを求めることがあるんじゃないかな、と思います。
「私」はそれを記憶の中の少女の思い出に見出して、故郷に探しに行くわけですが、気分転換に帰省するとか旅行に出かけるみたいな感覚なのでしょうか?(違うか) シチュエーションとしてはけっこうあることのように感じました。
しかし結局のところ、「私」の中の少女は「私」が作り出したただのイメージ、概念や象徴でしかなく、求めるものは見つからなかったように思います。
しかし最後、「私」は東京へ戻ろうと思うんですよね。
求めるべきものは何も見つかっていないのに……なんで? ――とちょっと不思議に思った部分です。
僕はこれをある種の開き直りのように捉えたのですが(違う可能性大ですが)。
どうしたって人が抱える虚無感は埋められず、人生はつらくきびしいものだけれども、生きているうちはそれなりにがんばって生きていかなければならないよね、みたいな。
仮に求めるものがすべて手に入ったとしても、人間は虚無感を感じずにはいられない生物なのかもしれず(そんな虚無感ちょっと感じてみたいものですが)、これが持つ者の苦悩なのか、持たざる者の苦悩なのか、あるいは両方に共通する苦悩だということなのか――よくわかりません。
だけど、僕に求めるものがあって、手に入れられる努力ができるうちは、手に入れる努力をしたいなと、単純に思ったというのが、今回の僕の読書感想なのでした。
読書感想まとめ
求めるものを見つけて手に入れる努力をしたいと思いました。
狐人的読書メモ
坂口安吾は21歳のとき、求めるものを手に入れようとして、睡眠時間4時間という生活を1年半続けたという話を知った。自分は睡眠時間が多すぎるし、無駄だと感じることはかなり多い……見習うべきか?
・『ふるさとに寄する讃歌/坂口安吾』の概要
1931年(昭和6年)『青い馬』にて初出。副題は『夢の総量は空気であった』。同人誌発表2作目の短編小説。処女作『木枯の酒倉から』と第3作『風博士』の話題作に挟まれ、当時はあまり評価されていなかったそうだが、現在では人気作の一つ。散文詩のような文章がとても良いと感じた。
以上、『ふるさとに寄する讃歌/坂口安吾』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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