狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『アド・バルーン/織田作之助』です。
文字数28000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約79分。
不幸な生い立ち、もっといい家に生まれていたら。
けれど人間は、どんな環境や境遇の中に育っても、
結局今の自分にしかなれないのかも。
不幸を嘆かず笑いに変えて良い出会いを。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
長藤十吉は六十三銭しか持ち合わせがなかったが、大阪から東京まで線路伝いに歩いていこうと思った。文子に会うために――。
十吉は落語家の家に生まれた。母は産後が悪く、十吉を産むとこの世を去った。早産だったことが原因で、父は十吉が実子でないことを疑い、生まれたばかりの赤ん坊を里子に出した。
十吉はいくつかの里親を転々とし、七歳の夏、実家に帰ることになる。継母が連れて行ってくれた出店の並ぶ夜の大阪の灯が、いつまでも十吉の心の中に残ることになる。
やがて継母は家を出ていき、弟が自分と同じ継子になったことに、十吉は残酷な快感を感じるが、じきかわいそうに思った。すぐに新たな継母ができたのだ。
十吉は大宝寺小学校の高等科を卒業すると丁稚奉公に出るも長くは続かなかった。奉公先を転々と移ることになる。そんなときに幼なじみの文子と幾度か再会する。
文子は芸者の子で、成長すると自身も芸者になる。十吉は小学校時代から文子に淡い恋心を抱いており、いつか偉くなって彼女と結婚したいと考えていたが、再会するたび思い出話をする以上の関係には発展しなかった。
二十五歳、十吉は父に勘当された。仕事は何をやっても長く続かなかった。赤ん坊のころからの放浪グセを実感せずにはいられない。無性に文子に会いたい――。
文子はレコード会社の重役に引かれ、東京に行ってしまったという。十吉は六十三銭を握りしめて線路伝いに歩き始めた。当然途中で金は尽き、農家で食事を恵んでもらったり、人の弁当を盗んだり、日雇いの仕事をしたり――。
大阪を出て十八日目の夕方、東京の文子のところへたどり着いた。文子は乞食同然の十吉を見て迷惑そうな様子だった。旅費を渡してくれて、だけど、ここをうろうろされても困りますから――十吉はばかな自分に愛想が尽きた。
大阪に戻ってまた無一文、川岸に腰掛けて思うことは、もう生きていたってしょうがない――そんなとき、十吉はホームレスの秋山という男に声をかけられ、しばらく一緒に暮らすことになる。
拾い屋を始めて十日ほど経ったある日、水をもらっていた農家の主人に声をかけられ、十吉は車の先引きの仕事を得るが、仕事を世話してくれた主人が亡くなり、三カ月で元の無職に逆戻りとなる。
再び拾い屋になろうと秋山さんを訪ねるも――ガード下に秋山さんの姿はすでになく、消息はわからなかった。
十吉は車引きで稼いだ金を元手に紙芝居屋を始めた。話しには昔から自信があり、やはり自分は落語家の父の子だと実感していた。
そのうちにいろいろな人との縁ができて、十吉はいっぱしに稼げるようになると、命の恩人である秋山のために、貯金を始めるようになる。
秋山さんに会いたい――その話は人伝に伝わっていき、「秋山さんいずこ。命の恩人を探す人生紙芝居」、新聞に載り、ついに秋山が見つかる。
秋山はその後も流転の生活を送り、いまでも病苦と失業苦に苦しんでいた。秋山は十吉との四年ぶりの再会を喜んだ。十吉の差し出した貯金通帳は、まさに秋山の救いの手となった。
人生双六。二人は五年後の再会を約束して別れた。
この再会がまた新聞記事となり、ちょっとした人気者になってしまった十吉は、気恥ずかしくなって紙芝居屋を辞めた。が、その後も真面目に働いて、秋山への恩返しの貯金を続けた。
五年後、約束の場所で、十吉と秋山は再会を果たす。秋山はいま佐賀で働いている。それまでにつらいことがいろいろとあったが、この日の再会を励みにして生きてこられたという。二人は互い名義の貯金通帳を見せ合っただけで、それをまた持ち続けることにした。さらに五年後の再会を約束して。
十吉は新聞記事を見て来た父と和解した。その後、貯蓄会社の外交員となる。その二年後父が他界、納骨を終え茶店に入ると、古いレコードの歌声が聴こえてきて――文子の声によく似ているような気がした。
十吉にはもう大した望みはなかった。大阪の灯はすっかり消えてしまった。ただただ真面目に働くばかり……、秋山さんも自分と同じ気持ちで真面目に働いているのではなかろうか――。
「今日も空には軽気球……」
狐人的読書感想
よかったです。
でも一般大衆受けする物語ではないのかなあ、という気がします。
『アド・バルーン』は、一人の大阪人の人生が描かれている小説ですが、最後に大きな成功を収めるわけでもなく、物語としては地味な印象を受けます。
やっぱり主人公が派手に立身出世するエピソードのほうが、一般には好まれるように思ってしまうんですよねえ――とはいえ、とってもよかったです。
「一人の大阪人の人生が描かれている小説」といってしまいましたが、それによって「ある一時期の大阪が描かれている小説」といったほうが、より作品の雰囲気に近いように感じています。
舞台が大阪なので、大阪の地名などがたくさん出てきて、だから当然といえば当然のことなのかもしれませんが、そればかりではない、大阪の人間がとてもよく描かれているように思えるのです。
僕の勝手なイメージの影響も大きいのかもしれませんが、これは実際大阪に住んだことのある大阪人にしか書けないのではないでしょうか。さすが織田作之助さんの小説だと言いたくなりますね。
いまの大阪は当時の大阪とは当然変わっているはずで、作中で見られるような光景は、特別な日や一部でしか見られないものになっているのかもしれませんが、大阪という場所の本質、大阪に住む人の本質――そういったものはあまり変わっていないように思い、現代でも充分に共感できる小説だという気がします。
もし共感はできなくとも、だからこそ独特の雰囲気を楽しむ読書ができそうですよね。
「大阪について教えて」と訊かれれば「『アド・バルーン』を読みなさい」と、大阪に住むどころか行ったことさえなくても、訳知り顔で言ってみたくなります。
さて、内容についてですが、ここまで大阪、大阪と言ってきたにもかかわらず、僕は人間のほうにこそ大きな興味を持ちました(人間も大阪人であることを思えば、やはり大阪に興味を持ったと言えなくもないのかもしれませんが)。
主人公の長藤十吉は良くも悪くも一般的な人格で、しかしその生い立ちはやや特殊であるといえます。
落語家の父の家に生まれ、母は自分を産んですぐに亡くなってしまい、血のつながりを疑われて七年もの間里子に出され、しかもつぎつぎと里親のもとをたらい回しとなり、ようやく実家で暮らすようになっても父は冷たく、継母たちとの確執や葛藤――とても幸せな幼少時代だとはいえません。
てか、不幸です、普通に。
でも十吉は、自分の子供時代を不幸だとは思っていても、それを嘆くことはしていないんですよね。むしろ笑いのネタにしていたりします。
そういうところはすごいなあ、と素直に感心させられてしまいます。大阪の芸人さんとかでも、コンプレックスを笑いに変えていたりするのを見ると、すごいなあ、などとよく思うのですが、これが大阪人の気質なのだとしたら、すばらしい気質だと思うんですよねえ……、見習いたいです。
そして、少し長いのですが、以下の引用部分がとても心に残りました。
『いったいに私は物事をおおげさに考えるたちで、私が今まで長々と子供のころの話をしてきたのも、里子に遣られたり、継母に育てられたり、奉公に行ったりしたことが、私の運命をがらりと変えてしまったように思っているせいですが、しかし今ふと考えてみると、私が現在自分のような人間になったのは、環境や境遇のせいではなかったような気もしてくる。私という人間はどんな環境や境遇の中に育っても、結局今の自分にしかなれなかったのではないでしょうか。』
生まれが不幸だと感じている人は、もしも違う家に生まれていたら……、というようなことを思うものなのではないかと想像してみます。
だけど実際にはどうなのでしょう?
環境や境遇が変わっていても、やっぱり自分はいまの自分にしかなれなかったのかもしれない――運命論的な響きはありますが、そのように考えることもあるような気がしました。
生まれを嘆くばかりでなくて、前向きに生きていれば、いい出会いがたくさんあって、最後にこれでよかったんだと思える人生を送れたならば、出世したり、偉くなったり、お金持ちになったり、夢を叶えたり――そんなことはできなくてもいいのかもしれない、とか思わされてしまいますね。
とはいえ、出世したいし、偉くなりたいし、お金持ちになりたいし、夢を叶えたい――と思ってしまうのが若さなんですかねえ……、というのが今回のオチ。
読書感想まとめ
大阪が読める小説。
狐人的読書メモ
十吉と秋山との関係はちょっと変わった友情だと思う。が、こんな友情関係があってもいいと思った。余談だが友達とは毎日会うよりもたまに会うほうが話もはずむし友達のありがたみが増すという気がする。なのに友達には頻繁に会いたいと思う。なんとなく矛盾を感じる。
メモ、幼少時代の大阪の灯(惜愛、一生心に残るような原風景について)、人は人を映す鏡、竜頭蛇尾 すっぱいぶどう。
・『アド・バルーン/織田作之助』の概要
1946年(昭和21年)3月『新文学』にて初出。大阪惜愛。
以上、『アド・バルーン/織田作之助』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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