道鏡/坂口安吾=恋に年齢は関係ない!じゃあ四十に近い初恋ってどう?

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

道鏡-坂口安吾-イメージ

今回は『道鏡/坂口安吾』です。

文字数23000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約84分。

かつて日本に女性時代があった。
孝謙天皇。
それは家を守る女の執念が結実した女性天皇、真の現人神。
しかし彼女もまた人間だった。
四十に近い初恋、老齢に差し掛かって見つけた真実の恋!

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

日本史に女性時代というべき一時期があった。それは奈良時代(710年~794年)の後期、孝謙こうけん天皇の時代だ。

孝謙天皇は、祖母と伯母二代の女帝に育てられた聖武しょうむ天皇と、六代の天皇に仕え辣腕らつわんをふるった希代の女傑・橘三千代たちばなのみちよの秘蔵っ子である光明こうみょう皇后との間に産まれた。

すなわち、孝謙天皇こそ、家を守る虫のごとき女主人の執拗な意志、綿密な心を込めた霊気の精、真の現人神あらひとがみであった。

そんな孝謙天皇は、当然ながら幼少から女帝となるべく英才教育を施され、三十三歳で即位したとき、未だ恋というものを知らなかった。

それは四十に近い初恋だった。

相手は五十を過ぎた側近、自分の栄達以外には興味のない男、藤原仲麿ふじわらのなかまろ。男と無縁に育った孝謙天皇は、男を選ぶあらゆるモデルを持たなかった。ただいつも近くにいる仲麿が可愛くていとしくて仕方なかった。

仲麿は孝謙天皇の寵愛を受け、邪魔者をつぎつぎと排除し、権勢をほしいままにするが、やがてある男の出現により失脚する。

それが弓削道鏡ゆげのどうきょうだった。

道鏡は天智天皇の皇孫で、幼時から仏学を学び、サンスクリットにも通達していた。修法の日々の中、やはり女を知ることがなかった。

孝謙天皇は高邁な魂を持つ道鏡に惹かれていき、やがて二人は恋仲となる。仲麿はこれにより遠ざけられ、焦り、自滅した。

彼女は身も心も道鏡に与え尽くしていた。道鏡は彼女の夜の肉体に溺れ、そして昼の凛冽りんれつな魂を深く愛した。女帝を愛する彼の魂は幼児のごとく、素直で、ただ純一だった。

女帝が崩御すると道鏡は慟哭どうこくした。女帝の陵下に庵をむすび、雨の日も嵐の日も、そこに座して去らず、彼女の冥福を祈り続けた。しかし、新朝廷の人々にとって道鏡は煙たい存在だった。

道鏡には陵下を離れねばならぬ苦しみのほかに思いはなかった。ただ一つ、凛烈たる一つの気品を胸にいだいて、彼の命が終わるその日を、無為に待てばそれでよかったのだから。

狐人的読書感想

まずはタイトルですね。

「『道鏡どうきょう』よりも『孝謙こうけん天皇』のほうがいいのでは……」などと思ってしまいましたが、坂口安吾さん自身もその旨「後記」に書いていました。

『孝謙天皇』あるいは『女帝時代』とでもすべきだった、作家は小説を書けばよいのであって、タイトルはなんでもかまわない――といったように、坂口安吾さんはタイトルにあまりこだわりがなかったんだなあ、という点がおもしろかったです。

内容については、女性天皇がつぎつぎと即位していた女性時代ともいうべき奈良時代、おもに孝謙天皇の生涯について描かれているのですが、日本史に疎い僕としては初めて聞くお話ばかりで、とても興味深く読めました。

あらすじではほぼ省いていますが、権力を巡る藤原一族の暗躍なども楽しめました。

しかし、やはりこの小説の主眼は、先代女帝の執念の結実、四十近くまで恋を知らず、人間としては歪んだ性質を持って創り出された孝謙天皇と、やはり独自の性格を持っていたと思われる道鏡との恋愛模様にあるかと思います。

初恋は遅いほど、こじらせたりハマったりする、というのはまま聞く話ではありますが、これは典型的なそういった話だというふうに感じました。

坂口安吾さんの『道鏡』では、孝謙天皇の恋は純粋に描かれていて、それは道鏡の恋にもいえることです。

ちょっと調べてみたところ、道鏡は「日本三大悪人」(平将門、足利尊氏、道鏡)と呼ばれることがあるらしく、ちょっと驚いてしまいましたが、女性天皇にうまく取り入った陰謀政治家であるという説が通説なのだそうで、ただ純一に女帝を愛していた、というのはどうやら坂口安吾さん独自の解釈によるもののようです(ちなみに天智天皇の皇孫というのも一説に過ぎないみたいです)。

孝謙天皇も道鏡も、特殊な教育環境によって高潔な魂として育てられ、しかし晩年になって恋愛にハマってしまった、というのは一つ説得力のある設定だなあ、と感じられます。

この特殊な教育環境というところに、今回はちょっと思うところがありました。特殊でなくてもいいのですが、教育ということについてです。

天皇のみならず、スポーツ選手だったり特別な職業だったり、親のそういった願いを受けて育てられる子供というのは、はたして幸福なのか不幸なのか、みたいなことをふと思ったんですよね。

当然、育てられる側の子供それぞれだとは思うのですが。

才能があって、教えられるその物事を楽しめれば幸せなのでしょうし、逆に才能がなかったり、ほかにやりたいことを見出した場合には教えられるその物事は苦痛でしかない、という気がします。

責任ある立場を望まれる人は、またさらにややこしくて、たとえば古代の王国で、暴君が誅されたとき、父王の暴虐など何も知らされずに育った子供は、はたして悪いのか悪くないのか、みたいなことも考えてしまいます。

何も教えられていなかったのだから暴君の子供は悪くない。責任ある立場の者はたとえ教えられなくとも知ろうとする努力をすべきで、それを怠った暴君の子供は悪い。

この二通りが考えられる気がするのですが、どちらが正しい意見なのかは一概には言えないという気がするのです。

親が教えるべきか、子が学ぶべきか――しかし、教育というのは見識を広げてくれる一方で、視野を狭めてしまうものでもあると思います。

表に出していないつもりでも、親には子供に「こうなってほしい」と望む気持ちがあって、子供はそれを敏感に感じ取り、その道を進もうとする。あるいはその意に従わず、子は我が道を進もうとする。

結果として子供が幸福を感じるか、不幸を感じるか――結局、教育は結果論でしか語れないところがあるよなあ、みたいなことを漠然と思ったというお話でした。

最近では、天皇陛下の生前退位のニュースとかもあって、女性宮家とか女性天皇とか女系天皇とか議論されているのも見られますが、そのあたりについても思わされるところのある作品です。

天皇は男系男子、すなわち男性の流れをくむ男子だけしかなれないといいますが、昔は孝謙天皇のような女性の天皇もいたんですよね。もちろん、それはときの有力者たちの都合だったのかもしれませんが。

僕としては、天皇制がどうあるべきか、なんてよくわかりませんし、どうすればよくなるのか、となればさらによくわかりませんが、結局のところ、権威というのは都合のいい誰かの都合で変えられたり利用されたりしてきたものなんだよなあ、ただそれだけのものなのかもしれないなあ、みたいなことをちょっとだけ思いました。

読書感想まとめ

恋に年齢なんて関係ない! だけど四十に近い初恋ってどう?

狐人的読書メモ

じつは冒頭、紫式部、清少納言、和泉式部が一世を風靡した平安時代についても書かれている。安吾はそれは真の女性時代ではないとしている。併せてその時代の愛が自由だったことが書かれているのだが――昔と今の貞操観念、相次ぐ有名人の浮気報道、少子化問題、多夫多妻制などと鑑みると、このあたりも考えてみてけっこう興味深い。

・『道鏡/坂口安吾』の概要

1947年(昭和22年)1月、『改造』(第二八巻第一号)にて初出。歴史小説。孝謙天皇の生涯。物語のみならず、不適当と思われるタイトルの由来などもおもしろい。日本史にちょっと興味を持った。

以上、『道鏡/坂口安吾』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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