狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『トカトントン/太宰治』です。
文字数13000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約43分。
拝啓。一つだけ教えて下さい。困っているのです。
はたして青年の苦悩とは如何なるものか?
トカトントン。
非常に気になるタイトルです。
多様な読み方ができて広い世代で共感できます。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
――ある作家に宛てられたファンレターは、つぎのような書き出しからはじまっていた。
拝啓。
一つだけ教えて下さい。困っているのです。
トカトントン。この金槌の音が彼を悩ませているのだという。
彼がその音を最初に聞いたのはポツダム宣言直後のことだった。どうしようもない虚無感に襲われて、自決を覚悟したそのとき、トカトントン。――これを聞くと、彼の悲壮は一瞬のうちに消し飛び、とても晴れやかな気持ちになった。
彼は郵便局で働きながら小説を書いた。しかし、あと一つの章を書けば終わりというときになって、またトカトントンの音が聞こえた。それ以後、小説の原稿は毎日の鼻紙になった。
それから彼は恋をした。意中の女性と砂浜で、二人きりで話をしているとき、トカトントンと聞こえてきた。彼は早々に話を打ち切ってその場を立ち去った。
彼はこれまで無関心だった政治に興味を持った。活動家たちの姿が眩しく映った。人間は政治思想、社会思想をこそ第一に学ぶべきだと思った。トカトントン。それっきりになった。
彼はいままで馬鹿にしていたスポーツをはじめた。へとへとになるまでキャッチボールを続けると、その疲労は爽やかで心地いいものだった。トカトントンが聞こえた。
彼が何かを熱心に行おうとすると、必ずあのトカトントンの音が聞こえてくる。その音は虚無の情熱をも打ち倒してしまう――教えてください、この音はなんなのでしょう、そしてこの音から逃れるにはどうしたらいいのでしょう?
――作家はつぎのような返事を送った。
拝復。気取った苦悩ですね。僕は、あまり同情してはいないんですよ。十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。マタイ十章、二八、「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」この場合の「懼る」は、「畏敬」の意にちかいようです。このイエスの言に、霹靂を感ずる事が出来たら、君の幻聴は止む筈です。不尽。
狐人的読書感想
「トカトントン」が何なのか、いくつか考えられるように思いますが、彼の言っていることはなんとなくわかるような気がしてしまいます。
勉強しなさい。
トカトントン。
いまやろうと思ってたのに……。
みたいな?
あるいは失敗を恐れて、肝心なところで一歩を踏み出せない、その恐れの心が音を生み出しているのかもしれません。とくに何かに挫折したことのある大人のひとなどには、こちらの方が共感できる考え方かもしれませんね。
そんなふうに捉えてみれば、最後の作家の、ちょっと厳しめのアドバイスも、身につまされるような思いがしてしまいます。
気取った苦悩ですね。
同情の余地などありませんよ。
要するに甘えているのだと――そう言われてしまってもしょうがないことのように思います(身につまされるなあ……)。
マタイ伝の一節を引いたところは、僕にはちょっと解釈が難しいのですが、「自分のやりたいものごとに身も心も打ち込めない者はダメだ」みたいなことなのでしょうか? そのことを自覚すれば自ずとそんな幻聴は聞こえなくなるのだと――なかなか含蓄のある教えですね。
とはいえ、「トカトントンの原因」については、もうひとつ考えられることがあるように、僕には思えました。
それは精神疾患の可能性についてです。
――うつ病みたいな。
音の聞こえだしたきっかけは、ポツダム宣言直後の、虚脱感のなかでのことだった、というところがどうもひっかかります。うつ病と言ってしまうとその症状は本人にしかわからないところがあって、気の持ちようが足らんだけだろ的な(作家のような)ちょっと厳しめの意見も出てくるのかもしれませんが、あるいは戦争体験によるPTSD(心的外傷後ストレス障害)を疑うこともできそうですよね。
彼の書いた手紙の文体が、深刻な悩みであるはずなのに、妙にユニークで明るさを感じられるところも気になります。
なお最後にもう一言つけ加えさせていただくなら、私はこの手紙を半分も書かぬうちに、もう、トカトントンが、さかんに聞えて来ていたのです。こんな手紙を書く、つまらなさ。それでも、我慢してとにかく、これだけ書きました。そうして、あんまりつまらないから、やけになって、ウソばっかり書いたような気がします。花江さんなんて女もいないし、デモも見たのじゃないんです。その他の事も、たいがいウソのようです。
――という彼の手紙の結びの部分には、明らかなる錯誤や混乱が見受けられます。
そんなふうに読んでみると、戦争によって心に傷を負った青年の姿が描かれているようにも思えて、これは戦争へのアンチテーゼ的な意味合いを含んだ小説なのかなあとも考えました(GHQの検閲をパスするための迂遠的な意味合いにおいても。どうでしょう?)。
そうしてそれから、これは太宰治さんの作品全体を通して言えることかもしれませんが、心に残るフレーズが非常に多いです。なにげない感じなのですが、なぜか印象に残ったり共感できたりします。文体のリズムがいいのと無関係ではないような気がしますが、なにぶんにも感覚的なことなので、具体的な言語化が(僕には)難しいです。ともあれ以下にいくつかピックアップしておきたいと思います。
そうしてそれから、(私の文章には、ずいぶん、そうしてそれからが多いでしょう? これもやはり頭の悪い男の文章の特色でしょうかしら。自分でも大いに気になるのですが、でも、つい自然に出てしまうので、泣寝入りです)そうしてそれから、私は、コイをはじめたのです。
――とてもユーモラスだと思いました。しかしながら僕も文章を書くときに似たようなことを思うことがあるので、笑っていいのやら……。
日ましに自分がくだらないものになって行くような気がして、実に困っているのです。
――よくわかります(それだけだ!)。
誰やら金槌で釘を打つ音
――じつはあえて引用するほどでもないかなあ、とも思いますが。トカトントンというオノマトペのタイトルは秀逸だと感じました。内容が気になりますし、読みたくなります。あと狐人的には夏目漱石さんの『文鳥』の一節を思い出してしまいます。『菫ほどな小さい人が、黄金の槌で瑪瑙の碁石でもつづけ様に敲いているような気がする』。なんとなく好きな一文です。
ひどい興奮でわくわくしながら
もう少しで完成する小説の、最後の一章をどんなものにしようか、あれこれと考えている場面ですが、わかるようなわからないような。アイデアがひらめくときってすごく瞬間的な気がするのですよね(生意気言ってる?)。あれこれ考えているときはアイデアが出ないときで、苦悩しかないような気がするのですが……(天才と凡人のちがいなのでしょうか?)。
円貨切り換えの大騒ぎ
――織田作之助さんの『報酬』の読書感想でとりあげた「預金封鎖」とそれに伴う「新円切替」のことですね。『証紙を貼った汚い十円紙幣』のあたりについてもその際に調べていたので、印象に残りました。
金魚鉢のメダカが、鉢の底から二寸くらいの個所にうかんで、じっと静止して、そうしておのずから身ごもっているように、私も、ぼんやり暮しながら、いつとはなしに、どうやら、羞ずかしい恋をはじめていたのでした。
――恋のはじまり方の表現としてはどこかおもしろいもののように感じました。
恋をはじめると、とても音楽が身にしみて来ますね。あれがコイのヤマイの一ばんたしかな兆候だと思います。
――恋をすると世界が変わる的なことのひとつ。
「五時頃、おひまですか?」
私は、自分の耳を疑いました。春の風にたぶらかされているのではないかと思いました。それほど低く素早い言葉でした。
――意中の人、花江さんに誘われるシーン。『春の風にたぶらかされている』という表現がすてきです。
花江さんとなら、どんな苦労をしてもいいと思いました。
――きっとそれこそが恋!
それまでの私は社会運動または政治運動というようなものには、あまり興味が無い、というよりは、絶望に似たものを感じていたのです。誰がやったって、同じ様なものなんだ。また自分が、どのような運動に参加したって、所詮はその指導者たちの、名誉慾か権勢慾の乗りかかった船の、犠牲になるだけの事だ。
社会問題や政治問題に就いてどれだけ言い立てても、私たちの日々の暮しの憂鬱は解決されるものではないと思っていたのですが、……
――よくないことなのかもしれませんが、政治についてはどうしてもこれと同じ思いを抱いてしまうのです。何かしなければ……という思いと、何をしたって……という思いの板挟み。このジレンマからどうしても逃れることができません(付け足すなら、こう思ってしまう自分も悪いが、こう思わせる政治家もどうなの、とか)。
……すなわちラストヘビーというもののつもりなのでしょう、両手の指の股を蛙の手のようにひろげ、空気を掻き分けて進むというような奇妙な腕の振り工合で、そうしてまっぱだかにパンツ一つ、もちろん裸足で、大きい胸を高く突き上げ、苦悶の表情よろしく首をそらして左右にうごかし、よたよたよたと走って局の前まで来て、ううんと一声唸って倒れ、……
いじらしさ、と言えばいいか、とにかく、力の浪費もここまで来ると、見事なものだと思いました。
上の引用がマラソンを走るランナーの描写、下の引用がそれを見た主人公の心情ですが、前者でいかにもその姿を滑稽に描き、後者でその印象を覆す手法は見事なものだと思いました。
いのちがけで、やってみたいのです。誰にほめられなくてもいいんです。ただ、走ってみたいのです。無報酬の行為です。幼児の危い木登りには、まだ柿の実を取って食おうという慾がありましたが、このいのちがけのマラソンには、それさえありません。ほとんど虚無の情熱だと思いました。
――しかしながらあれこれと影響されやすいひと(移り気なひと)だなあ、と思いました。とはいえその情熱だけは買いますが。前文の心情をまとめた「虚無の情熱」という表現が秀逸です。
そんなこんなで。
少年にも青年にも壮年にも老年にも、誰が読んでもどこかしら思うところのある小説だと思いました。広くオススメします。
読書感想まとめ
なにごとにもやる気が出ない、そんな弱い心を戒めている、あるいは反戦の訴えが読み取れる(のかもしれない)小説。
狐人的読書メモ
誰でもわかると言いながら、とはいえ身につまされるひとと、意味がわからないというひと、いったいどちらが多いのでしょうか? 意味がわからないというひとは、本当に一生懸命に生きているひとなのかもしれません(あるいは――)。
・『トカトントン/太宰治』の概要
1947年(昭和22年)『群像』(1月号)にて初出。書簡形式の短編小説。実際に太宰治さんが受け取ったファンレターが作品のモチーフとなっている。やる気がないだけなのか、あるいは戦争による心の傷(精神疾患、PTSD)が原因なのか。広い世代にオススメできる作品。
以上、『トカトントン/太宰治』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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