基本情報
- ジャンル:アクション
- 機種 :ファミリーコンピュータ
- 発売元 :バンダイ
- 発売日 :1988年5月30日
ゲーム概要
『聖闘士星矢 黄金伝説完結編』は1988年5月30日にバンダイより発売のファミコン・アクションゲーム。大人気漫画・アニメのゲーム化第二弾にあたる本作は「聖域十二宮編」の出だしから完結までを追う――「黄金伝説完結編」の副題の通り、前作を補完するような流れとなっている。全体としては「アクション+RPG風バトル」といった構成で、プレイヤーキャラは主に「星矢、紫龍、氷河、瞬」の4人の青銅聖衣から選択可。画面構成や操作性が一新され、プレイ感覚は前作とだいぶ異なる印象を持つ。
前作では「成長システムが非常に分かりづらい」問題点があったが、本作では「セブンセンシズ(経験値)」を蓄えて、聖闘士たちの「コスモ(攻撃力)」「ライフ(HP)」に変換する――という分かりやすいものに。コスモ・ライフ・セブンセンシズは等価交換となるため、これをうまく稼いで配分していかなければ、ボスを倒すことができない。横スクロールのアクションゲームといえば、基本的には「端から端まで」行ってステージクリア! だが、このゲームではただステージを道なりに進むだけでは十分なセブンセンシズが得られず、ボスを前に手も足も出ないまま敗北してしまうだろう。ゆえに、ステージ中で「稼ぎのパターン」を見出し、ザコ敵を繰り返し倒すことでセブンセンシズを貯めなければならず、しかし同じ場所に留まり続けると岩が落ちてくるようになるため、適度に場所を変えながら稼ぎ続ける必要もあり……ちょっと面倒くさい。一度クリアしたステージで延々と作業を繰り返さなければならないというのは「アクションとしてあまり面白くない」と評せそうだ。
アクションパートを終えるといよいよ黄金聖衣とのボス戦が待っているわけだが……これがアクションパート以上に理不尽な内容となっているのは、もはや本作経験者には有名な話。確かに原作でも「格が違う」黄金聖衣のステータスが高いのは当たり前といえば当たり前のことなのだけど、「戦うキャラクターを原作準拠の正しい組み合わせ」で選ばないと絶対に負けてしまう場面があり、これは原作ファンと純粋なゲームファンの間で評価が分かれているところ。原作ファンとしては「コミックスを通読しているのは当然!」なわけで、原作の再現度が高ければ高いほど「原作愛」を感じられ高い評価を付けたくなるわけだが、ゲームファンからしてみると「原作を知らなければクリアできないクソゲー」となってしまい――個人的にはどちらの言い分にも一定の説得力を感じている。他には「アクションパートの難易度が高い」ことも指摘されているが、アクション苦手な私としてはこちらの方が深刻だった。しかしながら、総評すれば「グラフィックもストーリーも当時のファミコンキャラゲーとしては良く出来ている」として、問題ないと思っている。
ストーリー
サンクチュアリを支配してしまった、邪悪の教皇を倒すため、星矢たち青銅聖衣は銀河戦争、暗黒聖衣との闘い、白銀聖衣との死闘を勝ち続けてきた。だが突然、星矢たちを見守っていた沙織ことアテナの胸を一本の矢がつら抜いた。アテナの命を救うには十二時間以内に教皇に矢を抜いてもらうしかナイ。しかし、教皇の間の途中には最強の黄金聖衣が十二宮に待ち受けている。星矢たちは立ちふさがる黄金聖衣たちを倒して、教皇の間に行かねばならないのだ。さあ、青銅聖衣たちは、小宇宙の究極、セブンセンシズに目覚め黄金聖衣たちを倒し、アテナを救うことができるだろうか……?
取扱説明書 <STORY『こんどの黄金伝説は一段と手強いゾ!!』> より
れとげ部!での評価
七感げ!:
ここが七感げ!
なかなか評価が難しい。
前述の通り「キャラゲーとしてはいいが、純粋にゲームとしては……」。とくにアクションゲームが苦手な私としては普通に難しかった思ひ出。ただ本作の理不尽さは「ゲームバランスの悪さ」というよりも「原作準拠にすることであえて狙っている」感が強く――納得はさせられてしまうんだよね。キャラゲーとは多かれ少なかれやっぱり「ファンのためのゲーム」であるわけで、本作の在り方は一つのキャラゲーのカタチとして認められて然るべきものだと私は考える。まぁ、原作とは違う行動をするとどうなるのかな(if)的なことをゲームに求めるファン層もいるんだろうけど、私は昔、メディアミックスにおいて原作と少しでも違うところがあると激しく拒絶反応を示していたことがあるから、本作の原作準拠っぷりにはかなり理解を示せるのかもしれないな……とか、コレ何の自己分析?(しかしなぜに過去の自分があれほどまでに原作と違うところを許せなかったのかは未だに謎なんだよね……こゆこと?)
コメント! (レトゲで一言!)
前作とはまた違った意味で無理ゲーなところはある。しかし、これはキャラゲーの一つの在り方として認められて然るべきだと思ってる。