『よむかも』な本の基本情報
- 著者 :片山杜秀
- 出版社 :新潮社
- 定価 :2000円+税
- 発売日 :2021年5月26日
- 単行本 :478ページ
- ISBN-10:4106038684
- ISBN-13:978-4106038686
『よむかも』な本のポイント
- なぜこの本をよむかもって?
- あえて言おう、青天を衝け!
- さあ、SF(尊攘ファンタジー)の源流を辿る旅へ。
『よむかも』な本のレビュー
- 『尊皇攘夷:水戸学の四百年』よむかも。
- 「日本資本主義の父」渋沢栄一を描いたNHK大河ドラマ『青天を衝け』
- その渋沢の最初の活動は――
- 江戸に出て尊王攘夷派として横浜の外国人居留地を焼き討ちすることだった。
- (実行寸前でとん挫した)
- 社会変革の志を抱く日本中の青年を、それほどまでに扇動したもの。
- そう、それが幕末の尊皇(王)攘夷思想。
- 最後の将軍・徳川慶喜が、なぜ将軍後継を嫌ったか。
- なぜ大政奉還をしたか。なぜ鳥羽伏見の戦いで江戸へ逃げ帰ったか。
- 答えはすべて、慶喜が水戸藩主・徳川斉昭の七男だった点にある。
- そう、筋金入りの尊皇派だったのだ。
- そんな尊攘イデオロギー(ファンタジー?)はどう生成したのか。
- 源流までたどって解明するのが、この本。
- 尊皇の元祖はあの「天下の副将軍」徳川光圀(水戸藩二代目藩主)だった。
- そう、黄門さまだった。「義公」と呼ばれた光圀は大義原理主義者だった。
- この本によれば、黄門さまは兄をさしおいて藩主に任命されたことに苦悩。
- 徳川御三家の中で3番目の家なのに、重い役割があることに呻吟。
- そんな矛盾を解決する理屈が、そう尊皇だった。
- 将軍の上に天皇がいる。天意に従うなら無理な役目も儒学の大義にかなう。
- この尊皇思想は、幕末の9代目藩主だった徳川斉昭のときに復活。
- それも攘夷という新思想の風味を加えて。
- 攘夷論が水戸学と呼ばれたのは、英米の捕鯨船が常陸沖に出没し始めた頃。
- 水戸藩の儒学者・藤田幽谷や東湖、会沢正志斎らによって付加された。
- (会沢の著作『新論』は吉田松陰らに強い影響を与えた)
- 歴史のIF、斉昭がペリー来航直後「海防参与」に抜擢されていなかったら?
- その後の明治維新の形態はかなり違っていただろう。
- 従来の江戸幕府の政治は将軍と老中合議の専権事項。諸藩や天皇は蚊帳の外。
- が、「外圧」に窮した阿部が雄藩を幕政に参画させ、天皇お伺いの道を開く。
- これが「幻想を現実に転化する時代」の到来。
- 血なまぐさいぼくらの合言葉「尊皇攘夷」が歴史の原動力となった瞬間だ。
- ただし桜田門外の変以降、水戸藩は表舞台から消えた。
- 小説でも映画でも以後描かれるのは薩摩、長州、土佐の西国雄藩ばかりだ。
- 尊皇攘夷の本家、水戸藩はどうした、どうなった?
- そこを手繰ったのがこの本の読ませどころの一つ。
- 斉昭の死後、1864年に水戸藩では幕府に攘夷を促す天狗党の乱勃発。
- これに対抗して藩政を掌握した諸生党は、反尊攘派だった。
- すなわち逆クーデター。水戸学右派が天狗党と諸生党の闘争鎮撫へ。
- この動きに幕府は討伐軍を派遣。天狗党だけでなく鎮撫軍諸共攻撃。
- 水戸藩内は内戦状態。その後の戊辰戦争に匹敵する犠牲者を生んだ。
- 大義を信じた水戸藩は結局、分裂から滅びへと至ったのであった。
- (一方、薩長は天皇を政治利用し、途中から倒幕開国へ方針転換)
- この経緯、誰しも想像するであろう戦前の軍部。
- 陸軍内で皇道派と統制派が衝突し、2・26事件を経て統制派が勝利。
- 統制派主導による日米開戦に至る「滅び」の道が始まった。
- 水戸藩の自滅は近代日本の挫折を予告していたのかもしれない。
- ――みたいなお話みたいな。
Amazon.co.jp
コメントする?