『ドラゴンクエスト』は1986年発売のファミコン・RPG・レトロゲーム。最初期のRPGの不便さが、いまではとってもいい思い出!
現代の子供たちは大人になってもこういう感覚は味わえないかも。古き良きファミコン時代の幸せだね
『ドラゴンクエスト』の基本情報
- ジャンル:ロールプレイングゲーム
- 発売元 :エニックス
- 発売日 :1986年5月27日
『ドラゴンクエスト』の対応機種
- ファミリーコンピュータ
- スーパーファミコン(ドラゴンクエストI・II―リメイク版―)
- PlayStation 4(リメイク版)
- Nintendo Switch(リメイク版)
など。
『ドラゴンクエスト』のストーリー
かつてアレフガルドは大魔王の手により闇に閉ざされていた。しかし伝説の勇者ロトによって大魔王は倒され、魔物たちは光の玉に封印された。こうして、アレフガルドには平和なときが訪れたのである。
月日は流れ、アレフガルドはラダトームの王・ラルス16世が治める時代となっていた。が、この時代、アレフガルドの平和を脅かす邪悪なる者が再び現れた。その名は、竜王。竜王はラダトームから光の玉とローラ姫を奪う。アレフガルドは再び魔物が跋扈する世界となってしまった。
多くの者が竜王に戦いを挑んでいった。しかし生きて帰ってきた者は一人もいなかった。ローラ姫もいずこかへ監禁されて行方知れずだという……。
そんな絶望の最中、ある予言者がこう唱えた。
「勇者ロトの血を引く者が竜王を滅ぼすであろう!」
そしてその予言どおり、ロトの血を引く勇者が現れたのだ。姫とアレフガルドの平和を再び取り戻してほしい――王の依頼を受けた勇者は一人、竜王の城を目指して旅立った。
ドラゴンのいる洞窟でローラ姫を助け出した勇者。さらなる旅の果て、竜王の城へとたどり着く。玉座の裏にある階段を下りると、そこには広大な迷宮が広がっていた。
最下層にある竜王の間。勇者に対峙した竜王はその強さを認める。
「もし、わしの味方になれば世界の半分をやろう」
その誘いを跳ねのけて、勇者は竜王へと挑み、壮絶なる戦いの末、ついに竜王を打ち倒す。ローラ姫と結婚した勇者は、新たな地に国を作るため、アレフガルドから旅立つのであった。
『ドラクエⅠ』のストーリーは、ディズニーアニメの『眠れる森の美女』がモチーフにされていると指摘される。『眠れる森の美女』の「ヒロイン・オーロラ姫 ⇔ ローラ姫」や、物語中ドラゴンに変身する「魔女・マレフィセント ⇔ 竜王」など、たしかにその影響がうかがえるところがある。
『ドラゴンクエスト』のプレイ雑感
日本のRPGの金字塔、『ドラクエ』シリーズの原点、「ロト三部作」でいうところの第一作目、時系列的には「Ⅲ → Ⅰ → Ⅱ」となって、『Ⅲ』で描かれた伝説の勇者の子孫が主人公なんだよね。この設定、アツイよね!
主人公である勇者は、竜王に捕らわれたローラ姫とアレフガルドの平和を取り戻すために旅に出るんだけども、ファミコン版の『Ⅰ』はかなり難易度が高くて、でもそのむずかしさはおもに「最初期のRPGである」というシステムの不便さからきているみたいなんだよね
たしかに。最初から最後まで仲間がいない一人旅だし、エンカウント率は高めだし、「はなす」のあと「きた みなみ にし ひがし」とか、「かいだん」とか「とる」とか、「ルーラ」ラダトームおんりーだとか、「ホイミの回復量少なすぎない?」とか、「復活の呪文」とか――なにかとめんどくさいよね
だけども話を聞いてみると、その不便さが「いまではいい思い出」になってるみたい。有名な「カニ歩き」とか、「もし、わしの味方になれば世界の半分をやろう」とか「はい」を選びたくなっちゃうよね
「ゆうべはおたのしみでしたね。」とか当時の子供たち意味わかんなくない? 親に聞いたら「……この子どんなゲームしてんのよ?」ってなるよね!
そういうのがなんだかんだでいい思い出になってるんだろうね
う~ん、私にはちょっとわかりづらい感覚かな。ゲームのシステムはわかりやすくないとやる気出ない
レトロゲームをやってると「最近のゲームはホント親切だなぁ」って思うもんね。こういった「いい思い出」は「いまの子供たちが大人になっても味わえない感覚なんだなぁ」って考えると、ちょっと寂しいっていうか、もったいない感じするよね
そういう意味だと、スイッチとかでファミコン版をそのまま移植してほしいけど、それだとやっぱり現代の子供たちは手に取らないんだろうね
ね。進化した現代のゲームやこれからのゲームができるのも幸せなんだろうけれど、話を聞いてると古き良きファミコン時代も幸せなんだなぁって思うもん
『ドラクエⅠ』をやって、ゲームにはそれぞれの時代にそれぞれのよさがあるって知れたよね!
ホントにね
おしまい。
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