第4話 大人が子どもの命を犠牲にする、合理的な理由。

くまさんと出会った。
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これはメアリとくまが出会う、少しばかり前の話。

「選ばせてあげる。僕のペットになるか、それとも食料になるか」

いま、くまの前に三頭の魔獣がいる。三頭とも同一の種族。

ベヒモス。

ベヒモスは鋼のような質感、色合いの肌を持つ。筋骨隆々たる巨躯を誇る。
頭部側面からは、悪魔のごとく立派な角が一対、生えている。
尻尾は太く、四肢の指は人と同じ形をしている。
普段は四足歩行だが、戦闘の際には威嚇のために立ち上がる。

立ち上がったベヒモスは、人間を掴んで投げられそうなほど大きく見えた。
くまのぬいぐるみならば指先でつままれ、すりつぶされて、はいおしまい。
圧倒的なサイズ差がある。

しかし、くまはまったく怯んでいなかった。
それどころか傲岸な態度で「食料か、ペットになれ」と言い放つ。

ベヒモスたちの顔は恐ろしげ。
侮られて怒りを露わにしているようにも見えるが、

「失礼。思わず、反射的に立ち上がってしまいました。しかし我々は他の森の動物たち同様、むやみな争いは好みません。まずはお話をさせていただきたいのですが、よろしいですかな?」

先頭に立つベヒモスが穏やかに話す。
子どもっぽいくまとは正反対の、大人で紳士的な口調と声で。

「後ろにいるのは、私の妻と息子です」

紳士なベヒモスの言うとおりに、彼の後ろに控えている二頭の魔獣。
彼よりも少し大きいサイズのベヒモスと、半分くらいのベヒモスと。
寄り添うようにしてくまの様子をうかがっていた。

「浅学で申し訳ないのですが、私はあなたのような生き物を初めて見ました。よろしければ、種族名などお教え願えないでしょうか。この森で新たに発生したのですか? それとも森の外からいらっしゃった? それにさきほどおっしゃっていた、ペットやショクリョウというのは、いったい何のことなのでしょう?」

紳士なベヒモスは立ち上がった姿勢のまま、矢継ぎ早に質問してくる。

「えー、めっちゃ聞いてくるなぁ。えっと。種族名っていうか、くまのぬいぐるみ。動物の熊をデフォルメしてかたどった人形ね。そのアバター……って言っても、わかんないよね。この森に発生した、と言えば発生したし、外部からきたとも言える。たぶん、これも説明してもわかんないと思うな。ペットはペット。愛玩動物。文字どおり、愛玩を目的として飼育される動物のこと。食料は食べ物のことだけど……それを知らないって、逆に、君たちは何を食べて生きてるの?」
「タベ……?」

紳士なベヒモスが太い首を傾げた。

「いや、食べるでしょ。木の実とか、魚とか、動物の肉だとか――」
「……動物の、肉?」
「そそ、こう、口に入れて、もぐもぐ、ごっくん、って」

くまは大きく口を開いて、食べるふりをしてみせた。

「なっ! つまり、植物や動物を体内に取り込む、ということですか!?」
「そうそう」
「……タベル、されたものは、どうなるのですか?」
「体内で溶かされて吸収される。吸収されると、体を動かしたり、考えたりするエネルギーになる。食べないとエネルギー不足になって、死んでしまう」
「それは……タベル、されて吸収されると、タベルされたものは死んでしまう、ということになるのですか?」
「うーん、ちょっと順序が違うかなぁ。死んだものを、食べるんだよ。厳密に言うと、モンスターを殺すとドロップアイテムとして食べ物がゲットできるから、それを食べるんだけど」
「ばかな!? では、あなたは他の生物を殺してタベルして、そうしないと死んでしまう生き物なんですか!?」
「そういうことだね」
「ば、ばかな……そんなことが……」

絶句する紳士なベヒモス。

「君たちは食事……食べるはしないの?」

今度はくまが疑問をぶつけてみた。

「ありえない! 他の生き物を、森の仲間を殺すなんて! そんな罪深いこと、創世の女神様が許されるはずありません!」
「じゃあさ、君たちは何をエネルギーにして生きてるのさ?」
「当然、マナですよ」
「マナ? 魔法に使うマナのこと?」
「そうです。我々、森の生き物たちは、森に満ちるマナを自然と体内に取り込んで、エネルギーにしているのです」
「じゃあ、食べるために他種族同士で殺し合いとかしないわけ?」
「……考えるのも恐ろしいことです」
「君たちが食べなくていいんだとしても、なわばり争いとか、いろいろありそうな気がするんだけど」
「そんなことで殺し合うものがいったいどこにいるんですか。話し合い、譲り合いですむでしょうに。森は広い、どこにだって住むに適した場所があるんです」

くまはいま、初めてこの世界の、森の動物と対話をしていた。
その相手が、この紳士なベヒモスだった。

「むむむぅ……奇妙な設定だなぁ」

自身の常識が森の動物たちのそれとかみ合わない。
くまはそのことに戸惑いを覚える。
「とはいえ、いま話したとおりだから、とりあえず、選んでくれる?」
が、気を取り直して最初の質問に戻す。
「僕のペットになるか、それとも食料になるか、さあどっち?」

「……つまり、あなたはこれから我々を殺すと、そうおっしゃっているのですか?」
紳士なベヒモスの紳士的な口調が、やや険のあるものに変化していた。

「ペットになればいいじゃんか」
「他の動物に一方的に愛玩されるために飼われるなど、我々の矜持が許さない。きっと森のものはみな、そう答えるはずです。それに――」
紳士なベヒモスはほんの少しばかり考えるように黙り、それから続けた。
「本当に、愛玩するだけの目的で他の生物を飼育する――そのようなことをするでしょうか。タベルために飼育する、と考えたほうが自然ではありませんか?」

そこで紳士なベヒモスの大きな眼がすうっ、と細められた。
真実を見定めんとばかりに。

「君、やっぱり賢いねぇ」
くまがニタリと、ギザギザの歯を見せつけるようにして、笑った。

「他の生物を殺すなど、許されない行いですよ」
「でも、そうしないと、僕は生きられない。君は僕に死ねと言うの?」
「……誰かを殺して自分が生きて、あなたは苦しくはないのですか?」
「そりゃあ、心苦しくはあるよ。だけど、しかたないじゃない。そういうものなんだから。もし君が僕の立場だったら、食べなきゃ自分が死んでしまうのだとしたら、どうする?」
「死にます。殺さなければ生きられないなんて、そんな、とても生きていけない」
「まわりみんなが同じことをして生きているのだとしても?」
「あなたは、他者が殺しているから、自分も殺すんですか?」
「うーん、これは絶対かみ合わないなぁ」

くまは「ふぅ、やれやれ」と、わざとらしくため息をこぼした。

「もう議論はここまで。ペットになりたくないなら、ここで僕に殺されて食料になるしかない。だけど、僕だって鬼じゃない。さっきも言ったとおり、殺すのは心苦しい。だからいまは、君たち三頭の中から一頭だけ、殺すことにする。さ、君の子どもを僕の前に出して」
「な!」

紳士なベヒモスは、目を大きく見開いた。
獣の表情でも、それが驚愕を表していることが伝わってくる。

「子どもを殺すつもりなのですか? あなたはどこまで――」
紳士なベヒモスは驚きのあまりそれ以上言葉にならない。

「え? だって、そうでしょう? 子どもはまたつくればいいけど、その子が大きくなって子どもをつくるのを待つより、君たち夫婦がすぐ新しい子どもをつくったほうが合理的でしょ?」

くまは、それがさも当然のことのように言う。
そこに皮肉や悪意はみじんも含まれていない。
心底、それが正しいこと、そう認識している。

「……あなたの親は、あなたに教えてくれなかったのですか?」
紳士なベヒモスは、皮肉を込めて問う。

「うん、何も教えてくれてない」
くまはこともなげに答える。

「僕に親はいない。だから自分ひとりで考えなきゃいけなかった。というか、僕のいたところではほとんどみんな親いないんだよね」
「……地獄にでも生まれたのですか?」
「ある意味そうなのかもしれないなぁ」
くまが、そう、うそぶいたとき、

「お父さん!」

いままで黙って話を聞いていた母子ベヒモス。
その、子のほうが大声で父親を呼んだ。

「ぼくにやらせてください! そんな弱そうなやつ、ちょっと痛めつけて、身の程というものをわからせてやります!」

子ベヒモスはいきおいよく母親のそばを離れる。
そして、父親の横に飛び出した。

「ジョナサン、下がっていなさい」
しかし父親はそんな息子をたしなめるように、短く告げた。
「ですが!」
納得のいかない子は勢い込む。

「ジョセフィーヌ!」
紳士的なベヒモスの一喝するような呼び声に呼応して、
「ジョナサン、下がりなさい!」
母ベヒモスがすばやく動く。
そして抱きとめるようにして息子を後方へ下がらせた。

「ひょっとして、ベヒモスってやっぱり強い?」
その一幕を眺めていたくまが言うと、

「その身をもって知るがいい!」

紳士なベヒモスはこれまでの紳士的な態度をかなぐり捨てた。
四足獣の猛烈な走りでくまに向かって突進する。

「ブルゥワアァァァァァ!」

紳士なベヒモスはそのいきおいのままに、下方から拳を振るい上げた。
宙をただよっていたくまは、その拳を見事にくらって吹っ飛んだ。
真上に、枝葉の天蓋を突き抜けて高く、空へ。

「ウルゥガアァァァァァ!」
紳士なベヒモスは天を仰ぐと、鋭い牙が並ぶ口を大きく大きく開いた。
そこにマナを集中する。凝縮したマナの属性を火へと変化させる。
極大の火炎玉が出来上がる。と、

「ガアァァァァァァァァ!」

再びの咆哮、そして一閃。

紳士なベヒモスは、空へ向けて、極大の火炎玉を発射した。
豪速で進む火炎玉の先に、くま。
火炎玉は標的を飲み込み、はるか天へと昇っていく。

枝葉の天蓋にぽっかりと空いた丸い青の中。
炎の光が小さく小さくなって、見えなくなる。
それを確認した紳士なベヒモスは、天に向けた顔を正面へ戻した。

瞬間。

「炎獄メテオストライク! とでも命名したくなるような、なかなかいいコンボだったね」

くまが突然目の前に現れたのだ。
瞬間移動、としかいいようがない唐突さ。
焦げ痕ひとつない、無傷の状態で。
ベヒモス最大の技をくらいながら。

「……やはり、だめでしたか」
紳士なベヒモスは、悟ったように呟く。

「やっぱり、わかってたんだ」

ちっぽけに見えるくまのぬいぐるみ。
それは、絶対に自分が敵わない相手。
出会った瞬間から紳士なベヒモスはその事実を本能で悟っていた。

「あなたからはたしかに、底の知れない何かを感じます。精霊か魔王と同等、いや、それ以上の――」

紳士なベヒモスは、そこで覚悟を決めたように言葉を一度切ると、

「こちらが先に不意を打ったかたちになりましたが、さきほどの約束はまだ守っていただけるでしょうか?」
「さきほどの約束?」
「我々のうちひとりだけを殺すにとどめる、との発言です」
「ああ、それね。息子を差し出す気になった?」
「こんなとき、すべての親がこう答えるでしょう。我が子を殺させるわけにはいかない。代わりに私の命を持っていけ。私はこの子の父親です」

「お、お父さん……!」
一部始終を目撃していた子ベヒモスは、震え声で父を呼んだ。
さっきの威勢はすっかり鳴りを潜めている。

「わからないなぁ。合理的じゃないのに」
「あなたも親になればわかります」
「じゃあ、一生わかんないかもね」

話しはこれで終わり。と言わんばかりに、くまは言い切る。
そして静かに、円筒形の丸っこい手を上下に動かす。

ベヒモスたちに、くまが何をしているのかは理解できない。
くまはこの世界のものには視認できないコンソールを操作している。
使う魔法を選択し、ターゲットを指定している。

「さよなら、ジョージ」

最後に紳士なベヒモスの名前を呼んだくま。
名乗ってもいない名前を言い当てられても。
もはや驚く暇はジョージには与えられない。

閃光、爆音。突風。

ベヒモスの母子はとっさに前足で目をかばった。

やがて光が消え、風が止み、あたりに森の静謐さが戻る。

と、顔から前足を外して、そっと開いた瞳の先。

愛する夫であり、愛する父。

ジョージの姿はすでになく――

そしてまた、くまの姿も同時に消えていたのだった。

 

≪つづく≫

 

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