アークライト王国の若き右宰相、
セネトレイト・サルディアス・メタルハライドは空を飛んでいた。
目指すは北方、王国と帝国の境となるウェルギリウス山脈方面へ。
我が王のもとへ向け、急ぎ飛行魔法で空を駈けているのであった。
……あの男、わざわざ呼びつけて……、いったい何事か?
セネトは心中独り言ちる。
王は遠征の最中にあった。
西のアークライト王国と北のオルペテクス帝国は長く争いが続いていた。
歴史書を紐解けば、その発端は両国の国祖同士の諍いだったという。
しかし今や時代とともにその主原因も移ろっている。
それは資源戦争――すなわち、魔石であった。
魔石とは、平たく言えば「魔物の核」だ。
魔物を殺すとそのマナは体内で凝縮し、魔石として残る。
魔石は魔法の根源となるマナの結晶であり、極めて利用価値の高い物質だ。
人が魔法を使うには言わずもがな資質と鍛錬が必要になる。
されど魔石を使えば才なき者でも魔法の行使が可能になる。
子供でさえそれを握って念じるだけで火や水を現出し得る。
ただし、より高次に魔法を扱おうとすれば、
鍛錬が不可欠なのは言うまでもない。
魔石の純度やサイズも重要になってくる。
魔石の純度やサイズは何で決まるか――といえば、
基本的には「魔物の強さ」である。
王国の冒険者ギルドではこれを基準に魔物のランクを定めている。
大きく、高純度の魔石ほど高値で取引されている。
王国では、魔石は主に貴族や商人などの富裕層が利用する贅沢品の扱いだ。
高純度の魔石は魔法行使の媒介として杖などに装飾される。
だが、基本は屋敷で使用人が水を出したり火を付けたり――
日用品として炊事などに消費されている。
これを端的にいえば
「王国では魔石はいうほど重要な品ではない」
といった事実になる。
むろん、貴族や商人たちにとって必要な品ではある。
装飾品としても価値がある。
しかし、庶民には普及していない。――なぜか?
火を付けたければ薪を燃やせばいいし、
水は井戸や川から汲めばいい。
それら労働は、魔石利用に比して不便ではあるものの、
それほど高い金を払ってまで解消したいものではない。
そういうことなのだ。
ところが帝国ではこの事情が大いに異なる。
王国では「魔法」文化が発達しているのが、
帝国では「魔工」文化が発達しているのだ。
魔工とは、魔石を利用した道具を作り出す技術である。
魔工は魔石の魔力を効率的に、より利便的に利用する。
併せて、帝国では魔石を分解・再生成する技術も進んでいた。
定まった質の魔石を目的に適った質・量・形に加工するのだ。
これによる省魔石化と大量生産――
もって帝国での魔石普及率と、その価値は非常に高いものとなっていた。
例えば――
帝都では一般家庭でも魔工の道具を使って湯を沸かし炊事をするという。
魔工の乗り物によって大量に速やかに人や物が移動するという。
ゆえに帝国では魔石は常に不足状態。
それを賄うには大量の魔物を狩るしかない。
あるいは高品質の魔石を日用品に適した品質のそれに分解・再生成する――
つまり、高ランクの魔物を狩るしかない。
つまるところ、魔物を狩るしかない。
その一言に尽きる。
されど、帝国内は魔物の数が少ない。
これは、魔工利用のため過度に魔物を狩ったためとも、
元来魔物が少ない土地なのだともいわれている。
自国に資源が少なければどうするか。
他国から奪うしかない。
よって、帝国は王国を侵略する。
ゆえに王がこれを討伐に向かう。
……いや待て、なぜに王が討伐に向かう?
セネトは心中独り言ちる。
その理由を知っているが故に。
そのくだらなさを把握しているが由に。
…………。
王国と帝国は外交によって政治的友好関係を築くべきである――
と、セネトは以前から考えている。
両国の争いは互いに損失しかもたらしていない。
帝国側は王国を侵略するのに多額の戦費を投入しているだろう。
王国側もこれを防衛する負担は決して少なくないのだから。
その資金を貿易に使えばいい話ではないか。
王国には魔石が余っている。帝国では魔石が不足している。
ならば、帝国は王国から魔石を買い入れればよいのだ。
しかし、それができない。――なぜか?
直截に言って、王国と帝国の仲が悪いからだ。
両国が国交を開くには、これまでの過去を精算せねばならず――
これが難しい。
まず王国と帝国にはほとんど親交と呼べるものが存在しない。
話し合いの場を設けることが不可能に近かった。
仮に話し合いまでどうにかこぎ着けたとして、
賠償の話が拗れに拗れるのは目に見えていた。
歴史的に見て、王国は帝国の侵略を受け続けている。
これに賠償を求めるのは当然の権利だと王国側は考える。
他方、帝国は「もとより戦争の原因は王国にあり!」と主張するだろう。
要するに事の発端となる大昔の国祖同士の諍い云々の話になるわけだが、
これはもはや伝説と呼ばれる過去となるわけで――
真実を知る者は誰もおらず、実感をもって語ることは至難だ。
王国がこれに反駁するのは論を俟たないところ。
そして、そもそも我が王がそれを望まないのは明白なところ。
まずはあの男をどうにかしないと……。
王国の右宰相は独り言ちずにはいられない。
* * *
王は戦が好きだった。
王は戦が趣味だった。
王は戦を愛していた。
「大将軍に俺はなる」
と国王は言った。
駄目だこいつ、早くなんとかしなければ。
右宰相は心中独り言ちずにはいられない。
「そんな冗談を聞かせるために、わざわざ私を呼びつけたのですか?」
野営地に到着したセネトは、兵の案内を受けて王の天幕まで移動し、
入り口の布をくぐると、そこには仁王立ちする王が待ち構えており、
そして王は開口一番、先のセリフを宣ったのであった。
両の拳を高く高く天へと突きつけながら。
「ふっふん、冗談とは言ってくれるぜ。俺が本気なのはお前もよく知っているだろうに。まぁいいさ。この真言の真意をお前はすぐ知ることになる」
冗談ならどんなによかったことか。
そう昔からこれを言っているのだ、
この男は。
王と右宰相は王立学園の同窓生であった。
いや、それ以前からの馴染みであった。
いわゆる、腐れ縁というやつだった。
だからこそセネトはその違和感に気づく。
毎度のごとく王の将軍ネタを披露するこいつ。
それを冗談扱いして受け流す自分。
すると、決まって食って掛かってくるこいつ。
が、今日はえらく余裕な様子――
「…………」
得体の知れない気味の悪さがじわじわくるこの感じ……
「ふん、どうせお前のことだから、また貿易によって戦争をなくすことでも模索していたんだろう?」
相手の心中を見透かしてくるようなこの感じ……
「どうせ、俺を廃して、俺の子を新王に擁立し、そして帝国との和平交渉への道を開くつもりだろうが、はたしてそうお前の思い通りになるかな」
そこまでは考えていなかったがこの感じ……
「俺だって別に帝国との魔石貿易が悪いとは思っちゃいないぜ。我が国には魔石なんぞに頼らずとも優秀な魔導士が多くいるからな。魔石など帝国にくれてやっても何ら惜しくない。しかし、だ。輸入した魔石で帝国は戦力を増強するぞ。そうして増強したその力でもって今度は魔石ではなく王国そのものを奪いにくるぞ。そんなことは国民だってわかっているぞ。さあ、それをどうやって諭す? ちなみに俺は大歓迎だ。それすなわち総力戦。戦争、戦争、戦争だ! さて、お前はどうする。貿易するか、それとも戦争するか?」
この王は戦馬鹿だが、馬鹿ではないこの感じ。
それが厄介なところだった。
「だが私は、いつか世界中の人たちが手を取り合って生きていける日が来ると信じている」
「ふん、相変わらずの理想馬鹿め」
王は皮肉気ににやりと笑った。
……これは一体何の話だ?
とセネトは思った。
「王よ。その話をするために?」
わざわざ私を呼びつけたのか、とは今度は言うまい。
どんな大業もまずは小さな話し合いから始まるもの。
それこそセネトが歓迎すべきこと。
時と場所を弁えてほしいとは願わずにはいられぬが、
この際、そこを気にすべきではないのかもしれない。
王と腹を割ってこの話をする機会が訪れたのだから。
――と、右宰相が王との会談に臨む
臣下としての心構えを整え直した
そのとき。
「いや、そんなくだらん話をするために、わざわざ王国右宰相であるお前を戦地へ呼びつけたりすると思うか? いずれは大将軍となる聡明なる国王であるこの俺が?」
「…………」
――だった。そんな気はしていたのだった。
「ブラックアウトカーテン」
セネトが何かを言う間もなく、王は呪文を唱え、魔法を行使する。
魔法の効果が二人を含む周囲を包んだ。
ブラックアウトカーテンの効果により、
物理的・魔法的盗聴、透視などあらゆる諜報はこれを阻害される。
「魔法で防諜まで施すということは――どうやら本当に冗談ではないのですね?」
「おい、今疑問符つけたろ? まだ一抹の疑いが拭えていないんだろ?」
右宰相は王を疑い、王は右宰相を疑う。
国の行く末が不安になる一幕ではある。
「てか、もう敬語やめろや。俺、お前でいこうや」
「わかった。ではお前、早く本題に入れ」
俺は王でお前は右宰相で、お前は王で俺は右宰相。
幼馴染な二人の関係が垣間見える一場面であった。
「では、本題に入る前に王への敬意を見せてもらおうか?」
「どっちなんだ。俺、お前でいくんじゃなかったのですか?」
先述を即翻す王に、右宰相は速やかに適切に対応する。
しかし王はそれには答えず、左手の手袋を徐に外して、
すっ、とその甲をセネトに示した。
セネトは「はっ!」と短く返して、反射的に地に膝をつこうとした。
「はっ?」
……反射的に地に膝をつこうとした?
馬鹿な。ありえなかった。というか、
そこにはあるべきものがなかった――
「おまっ、王紋はどうした!?」
この幼馴染が王になると同時、その左手甲には王紋が刻まれていた。
王紋とは、まさに王たる者の印であった。
王紋を持つ者が意識的にそれを国民に示して見せた場合、
国民は否応なく敬礼の姿勢を取る強制力が働く。
「ぶはっ! ぶはははははは! その顔! その顔が見たかったぜ!」
右宰相の驚愕の表情を見て、王が笑う。爆笑する。
「冗談言ってる場合か!?」
「割と本気で言ってるぜ! どうだ? これで俺が国王じゃなくなれば、大将軍にだってなれるはずだぜっ!」
「本気で冗談言ってる場合か!?」
とはいえ、これほど取り乱す右宰相はなかなか見られるものじゃない。
この人物を知る人なれば確かにそう思わずにはいられないだろう。
「俺が気づいたのは昨日の朝だ」
一頻り笑った王は語り始めた。
「逐一気にしているわけじゃあないが、少なくともその前日まで紋は俺の左手にあった」
王位継承者が正式に王となるには二つの儀式を経なければならない。
試練と戴冠式である。
試練とは、
聖域と呼ばれる場所に王位継承権者が赴き、
創世の女神より王紋を授かるまでの過程――
と、王家に近い者たちの間で知られている。
しかし、その詳細は試練を受けた者のみ知るところであり、
当事者が内実について他者に語ることは
伝統的に禁じられていた。
ただし、王が王紋を喪失する場合とは、
当事者以外にも知られるところ。
その場合とはただ一つ。
「俺の留守中、グレンに……というよりも、あの女に動きはないか」
当然、王はそこに考えが及んでいた。
混乱から立ち直る間はなくとも、
セネトもすぐそれに気づいた。
王が王紋を喪失する場合とは、次代の王に王紋が刻まれた時。
つまり、王位継承の儀式が執り行われ、新たな王が立った時。
「いや、ここ数日で王子が王城を出たという報告は受けていない。第三王妃の策動を十全に監視できているかと問われれば、自信を持って肯定するのは難しくはあるのだが……、しかしこのタイミングで王位継承の儀式を強行する理由が、彼女にあるとは考えられん」
第三王妃の息子であるグレンランガ・アテルイ・アークライト王子は、
アークライト王国第一王位継承権者にして、
現在唯一の王位継承権者である。
ゆえに何をせずとも、三年後には正式に継承の儀式を受けることになる。
それを今、内密に断行する理由が見当たらなかった。
「ふん。あの女の考えることなど俺にはわからんぞ」
「いや、ない。利、どころか害しかないではないか」
三年の後には円満に得られる権力。
それを有力者たちの不審や反発を生んでまで、今得る――、
いったいそれにどんな意味がある?
第三王妃は、東のマガハ女王国から嫁いできた王妃だった。
権勢欲が強く、計算高い人物だ。
しかし、それ故に意味のないことはしないだろう。
「では、俺に隠し子はいるか」
「それはむしろ私が聞きたい」
――と、戯れのごとく言ってはみたが、本人が一番わかっているだろう。
セネトも一人の友人としてこの男のことはよく知っている。
それはない――ということを。
だからこそ、セネトは躊躇う。
この情報を王に伝えることを。
――友として。
「これはまだ詳細を掴めていない話なんだが……」
その思いが前置きとなって表れるも――
やはり話さないわけにはいかなかった。
「数日前、第三王妃が罪人として一人の女を離塔の牢獄に捕らえたそうだ」
どうやら女はノスダウの街にある教会のシスターであったらしい。
「その女が十二年前、フィリエル様を、第一王妃を……、彼女の生んだ姫を呪殺した暗殺者かもしれん」
刹那、王の周囲の空間が歪むのを、セネトは知覚した。
そのうちに内在する膨大なマナが激情によって乱され、
溢れ出しているのであった。
「……フィーを、第一王妃を殺した者は、確か死んだのではなかったか?」
第一王妃は姫を死産すると同時に、その命を失っていた。
そして、姫はただの死産ではなく、
何者かの手により呪殺されたことが明らかとなっていた。
出産とは――一般的に母体にリスクのある行いであるが、
魔法の才ある者がそれを受け継がせようとする場合には、
より大きな危険を伴う行為となる。
母親が子に己のマナを受け継がせるためには、
両者の命をより強く結びつける必要があった。
それは、片方の死が、もう片方の死をも招く。
すなわち、通常死児を出産しても母体が死に至るケースは稀であれど、
先述の通りなら、胎児の死は母体の死に通じるのだ。
すなわち、胎児を呪い殺すという行いは、母親を呪い殺す行いなのだ。
すなわち、その暗殺者は殺したのだ。
フィリエル・フェネトリクス・アークライトを。
アークライト王国第一王妃を。
二人の、もう一人の幼馴染を。
そして、男の最も愛する女を。
「当時の報告では深手を負い、水路に落ちたが、死体は確認できなかったと」
「それが生きていたと? それをあの女が捕らえただと?」
暗殺者とは道具である。
道具が己の意思で人を殺すことはない。
つまり、第一王妃を真に殺した者は他にいる。
――それは第三王妃なのではないか?
王も右宰相も――多くの者たちが当時からそれを疑っていた。
第三王妃は権勢欲が強く、計算高く、第一王妃を一方的に嫌っていた。
何でも自分が一番でなければ気が済まないといった気性の女だった。
当時、第一王妃と同時期にグレン王子を妊娠していた。
そして、第三王妃の出産は第一王妃よりも後であった。
――自分が産んだ子を王位につけるために。
王国の通例では、王位継承順位は純然に産まれた順番による。
それを聞いて、それだけの理由で? ――と、思うだろうか。
それだけの理由で赤子をも殺すのが、権力者という生き物だ。
「繰り返しになるが、未確認の情報だ。事実として確かなのは、第三王妃が罪人として一人の女を離塔の牢獄に捕らえた、ということだけだ」
言い聞かせるようにセネトは言う。
それは激情を必死で抑え込んでいる目の前の王に向けてか、
それとも自分自身に向かって言い聞かせているのだろうか。
いずれにせよ、感情のままに軽挙するわけにはいかないのだ。
自分にも、王にも、もはやそれぞれに立場というものがある。
有力貴族に第三王妃の支持者は多い。
王と第三王妃が本格的に争うことになれば、
国を二つに割る内戦が始まるだろう。
下手をすればマガハ女王国を敵に回すことにもなるかもしれない。
戦好きのこの王は、それでも戦は大歓迎だ、と言うだろうか。
――聞けるはずもなかった。
「どのくらいの確度の情報なのだ? それは?」
王もそれはわかっているのだろう。
私情に任せて動かないだけの自制心は持ち合わせている。
勝手に戦に出かけていくような戦馬鹿ではあるのだが、
この王、ただの馬鹿ではないのであった。
「私の部下からの報告だ。あの男は趣味嗜好に甚だ問題はあれど、能力は低くないと私は見ている」
それに、これが意図的に流された情報である可能性も否めない。
王紋が消えたタイミングと、第一王妃暗殺の手の者捕縛の報と。
無関係だと切り捨てるには出来過ぎている。
「その意図が何かはわからんが、狙いがあってのことかもしれん」
「……俺が直接聞くしかないというわけか」
良くも悪くも、第三王妃と対等に話ができるのは王だけだった。
その決断に間違いはないはずだ――とセネト自身も判断するが……。
そこに一抹の不安を覚えずにはいられない。
まさに掌の上で踊らされているような感覚が
ずっとまとわりついているのだ……。
「セネト」
そんな右宰相の迷いを知ってか知らずか。
それを王は断ち切るかのごとく短く呼ぶ。
「フィーの子が生きていると思うか」
「……それは」
ありえなかった。
……魔法でまだ救えるかもしれない。
王も右宰相も、すでに冷たくなった死児と王妃の亡骸を確認していた。
だが、救えなかった。
いかに高位の魔導士といえど死した者を蘇らせることはできなかった。
「つまらんことを聞いた。城に戻るぞ」
「はっ」
王国の若き右宰相は今度こそ地に膝をつき、
――深く首を垂れるのであった。
≪つづく≫
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