第8話 ステータスにある君の本当の名は。

くまさんと出会った。
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「………………」
「…………よし」

メアリはご主人様の「よし」を聞いてから、ゆっくりと面を上げた。

くまの座す椅子の座面は、正座の少女の頭よりもやや上に位置している。
よって、くまは少女を見下ろし、少女はくまに見下ろされる。
正しく主従の上下関係を表した図となっていた。

「君、もうペットとしてはほとんど完璧だよね。本当に処女ペットなら天性の才能があるよ、ペットとしてのね」

くまはペットの少女を褒めてつかわす。

「もしくはペットみたいな暮らしをしてたのかな、孤児院で。誰が君を躾けてくれたの?」

くまに問われてメアリの頭に浮かぶのは、やはりシスター・アマリリス。
その無表情な顔。

「正座や土下座を教えてくれたのは、孤児院のシスター・アマリリスです」

そういえば正座や土下座は、王国では一般的な文化ではなかった。
聞くところによれば、東の女王国の作法だという。
シスター・アマリリスの髪は亜麻色だがじつは染料で染めていた。
本当の彼女は艶やかな黒髪。
黒髪も王国で見かけることは少ない、女王国の人の特徴だという。

『シスター・アマリリスは東の国の人なのですか?』

メアリは一度だけ聞いてみたことがあったが、返答は無言だった。

「そのシスター・アマリリスは巨乳なの? それとも微乳?」

くまが聞く。それが重要なんです、と言わんばかりの態度で聞く。

メアリは少しだけ考えてから、
「しいて言うなら美乳ですね」
「美」のニュアンスに気をつけて答えた。

「美しい乳、すばらしい!」

それはどうやらくまにも伝わったらしい。

同じ発音の言葉でも、微妙なニュアンスの違いで、まったく別物となる。
それが相手に伝わったときに、なんだかちょっとうれしくなる。
メアリは言葉のそういったところが好きだったりする。

「僕はもちろん、巨乳も微乳も大好きだけど、美乳はとくにいいよね。だって、美乳な巨乳とか美乳な微乳とか、美乳には巨乳も微乳も含むことができる、より上位のおっぱいカテゴリーだもんね!」

くまは自身のおっぱい好きを語る。

「で、どんな感じの美乳なのかな、シスター・アマリリスのおっぱいは?」

この話、まだ続くの? と、思わなくもないけれど。

「たとえば、両手を上に伸ばして、少し背を反らしたポーズをシスター・アマリリスがとると、服の布ごしに見えるバストラインがなんとも艶めかしい感じになります」
「ほうほう!」

けれども、少女はシスター・アマリリスが持つ美について誠実に説明した。

「でもシスター・アマリリスの真の魅力はバストラインよりもヒップラインのほうにあるんです」
「なんと! 彼女は美乳だけではなく美尻も持ち合わせていると? もはやビーナスなのだと?」

くまのテンションがそこはかとなくアップする。

「シスター・アマリリスのそれは、街の男たちに魔性のヒップラインと呼ばれ、とてもとても恐れられていました」
「え、恐れられていたの? なんで? エロい目で見られていたわけではなくて?」
「ええ、そうなんです。じつは――」

そこで少女はちょっと間を置いた。効果的な語りの手法として。
続きが気になるところではある。しかし、ここでくまは動いた。

まるで気が利く家の主人のように。
お客にお茶をお出しするように。
家の者に指示するかのごとく。

丸い手をさっ、と動かす。すると、

ポンッ。

何やら妙な形の細長い瓶がふたつ、メアリの目の前の宙に現れた。
ふたつの瓶は、はたして空間に固定されたみたいに浮いている。

「そういえば森からしゃべりどおしでしょ。喉渇いてるでしょ? 安心して、グラスに湖の水を汲んできてお出しするようなネタはしてないからね。それ犀竜サイダーだよ。さあ、お飲みよ」

少女には湖の水の何が悪いのか、わからなかったのだけれども。

「……いただきます」

メアリは何も聞かずにひとつ取ると、瓶の口を唇につけた。
そして少しばかり中の液体をあおる。

「!?」

つぎの瞬間、ケホケホと咳き込んだメアリ。とっさに顔を下に向けて。
ご主人様に唾を飛ばす失態をなんとか免れた。

「な、なんですか? この飲み物は? シュワシュワしていますが……」
「だから犀竜サイダーだよ。冷たくて、甘くて、シュワシュワがクセになるおいしさでしょ?」

言いながらくまも瓶に手をのばし、ぐびぐびやりはじめる。
それを、信じられないという顔の少女が見つめた。

口に含んだ瞬間、舌が痛く感じたけれど。
しかしいまはもうその痛みは消えていた。

ご主人様の施しを拒否するわけにもいかずに。
メアリは再び液体を一口。
今度はいきなり喉には通さず、口の中に含む。

はたしてチリチリと舌に刺激を感じるが、痛みというほどではない。
味はくまの言うとおり、冷たくて、確かに甘い。

しばらくすると、口の中の刺激は治まった。
メアリはごくり、液体を飲み込んだ。

犀竜サイダー。

これもまた、ベヒモスバーガー同様。
これまでに少女が飲食したことのない不思議な飲み物だった。
落ち着いて飲んでみれば、確かにおいしい。
気がする。

甘いものというのは誰にとっても貴重品だ。
とくに孤児たちには。
口にする機会はほとんどないといっていい。

メアリは二口、三口と続けて、犀竜サイダーを飲んだ。

「……ご主人様はどうしてこのような不思議な食べ物や飲み物をお持ちなんですか?」

少女にはそれが不思議でならない。

シスター・アマリリスの魔性のヒップライン。
その話が途中ではあったのだけれど。

思わず聞かずにはいられなかった。

「え? これ? これはモンスターを倒したときのドロップアイテムだよ」

ドロップアイテム?

(ということは、モンスターがこれを落としたということなのでしょうか)

メアリは犀竜サイダーの瓶を見つめた。

モンスターは街の外に生息していて、人を襲う。
だから王国では、騎士団か、冒険者を雇って討伐している。
という話を、メアリも聞いたことくらいはある。
とはいえ彼女は森にくるまで街の外に出たことがなかった。
当然モンスターも見たことがなかった。しかし、

(アイテムを落とすというような話は聞いたことがありません)

アイテムと呼ばれるものは主に遺跡で発見されたり。
素材を用いて精製したりするものだ。
モンスターからは皮だったり、血だったり、鱗だったり、牙だったり。
その素材となる材料がとれるという。

稀に人に似たモンスターが道具を持っている場合がある。
が、それは落とすというより、はぎ取るという感じ。
少女のイメージとしては、やはり素材の扱いに近い。

「まあ、わかんないかもね」

少女がいつまでも腑に落ちない様子なので、くまが補足を加える。

「実際、モンスターを倒しても、目に見えるかたちでアイテムを落としたりするわけじゃないし……そういえば、君はベヒモスが死んでいくところを見ていたよね? あのベヒモスも何も落としてなかったでしょ?」

メアリはそのときの光景を思い出す。
それはくまが現れる少し前、いきなり巨大な生物が降ってきたとき。
損傷激しい生き物の体は、光の粒子となって消えてしまった。
そのあとに何かが落ちていただろうか。
あまりにも突然すぎたし、そんなこと思いつきもしなかった。
だから詳しく探してみたわけではなかったけれど。
言われてみれば、生物の消えたあとには、何も残ってはいなかったと思う。

「君たちには説明が難しいんだけど、モンスターを倒すとこのコンソールにドロップアイテムを手に入れた旨が表示される」

くまはコンソールを示すように手を動かした。
もちろん少女にコンソールは見えないのだが。
ジェスチャーとしてその行動をとった。

「たとえば、ベヒモスを倒したときには『ベヒモスバーガーを9コ手に入れた』みたいな。すると入手したアイテムは所持品欄に追記されたり、所持数が更新されたりするんだけど……理解できないよね」
「……はい」

少女は正直に頷くしかない。

「まあ、わかんなくてもいいよね。君たちには持てないものだし、使うこともできないんだし。便利なんだけどね。いろんなものが管理できて。あ、そういえば」

そこでくまは思い至る。

「君はペットとはいえ、僕の所有物には違いない。どっかにデータがあるかもしれないね。それとも仲間みたいな扱いになるのかな? どれどれ――」

少女にはやはりわからないことを呟きつつ。
くまが引き続きコンソールを操作する。

と。

「……ん?」

そこで何かに気づいたような声を漏らす、くま。

「……メアリ」
「はい」

「……メアリ?」
「はい……?」

くまが二度続けて少女の名を呼び、少女はそれに応えた。

「君、メアリだよね?」
「そうですけど」
「メアリっていう名前なんだよね? あだ名とかじゃないんだよね?」
「そうですけど……?」

くまはそこでようやく、コンソールから少女へと視線を移す。

「うーん……」

くまが訝しげに唸る。そんなくまに少女が尋ねる。

「どうしたんですか?」
「もう一度だけ聞くんだけど、君の名前はメアリなんだよね。僕のことをだましてたり、本名を隠してたりしてないよね?」

くまが念押しする。

「ご主人様をだましたりしていません。隠してもいません。わたしの名前はメアリ。そう――」

そう、物心ついたときには、呼ばれていた。
シスター・アマリリスや孤児院のみんなに。

「それが親がつけた本当の名前なのかとか、確認したことある?」
「……確認していません」

ふと。丘の石碑の上での、シスター・アマリリスとの別れ際。
あの言葉を思い出す。

『生きなさい。生きていればきっといいことがたくさんあるから』

それをシスター・アマリリスはメアリの母親の言葉だと言った。

メアリは産まれてすぐ孤児院に捨てられていた。
そう聞かされて育った。
誰も親のことなんか知らないと思い込んでいて。
誰かに親のことを聞こうだなんて。
考えたこともなかった。

「……わたしの名前、違うのですか? メアリではないんですか? どうしてご主人様にそれがわかるのですか?」

少女は問わずにはいられない。

「さっきも話したけど、コンソールを使えばいろんな情報を管理・確認できる。その情報には僕の所有物のリストも含まれている。君は僕のペットになった。だったら君は僕の所有物だ。いま、コンソールの所持品欄の中の、ペットの項目にひとつの名前が表示されている。そして僕はまだ、ペットは君しか持ってない。だから、それはつまり、必然的に君の名前ということになる。なるわけなんだけど――」

くまは少女に告げた。

「その名前はメアリじゃない」

そして続ける。ステータスに表示されている少女の本当の名を。

「ソフィーリア・エーテルハイド・アークライト」

ソフィーリア。そんな立派な名前の人は知らない。……だけど。

その愛称は「ソフィ」「ソフィア」。
ソフィアはメアリの、孤児院での友達の名前。
それだけじゃない。

アークライト。

メアリが住んでいた孤児院があった街の名はノスダウ。
その街がある国の名は。

アークライト王国。

少女は返す言葉を見つけることができなかった。

 

≪つづく≫

 

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