第9話 少女とくまは夜空のトランポリンで遊ぶ。

くまさんと出会った。
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「さて。それはさておき、シスター・アマリリスの魔性のヒップラインのつづき話してくれる?」

くまが言う。
メアリは――少女は乞われるままそれを語る。

シスター・アマリリスはよくよく痴漢にあう。
なぜか、みんなが彼女のお尻をさわりたがる。
それこそ、街のエロ爺からエロ親父。
エロガキ、たまに同性愛者のエロ女に至るまで。
とにかく、彼女の美尻は人を惹きつけて止まない。
それは、魅力的な彼女の尻が悪いのか。
はたまた誘惑に負けてしまう人々の心が悪いのか。
ともあれ、シスター・アマリリスはよくよく痴漢にあう。
正確にいえば、痴漢未遂にあう、のだ。

なぜ未遂なのかといえば。
彼女のお尻にふれようとする、不埒な魔の手が伸びてきた瞬間。
彼女はその手をさっと掴み、捻り上げ、相手を地面に押さえつける。
それは相手が街のエロ爺だろうがエロ親父だろうが。
エロガキだろうが同性愛者のエロ女だろうが。
関係ない。
区別なく、容赦なく。あっという間にねじ伏せてしまう。
シスター・アマリリスが用事で冒険者ギルドに出かけていくことがある。
すると屈強なエロ戦士が、彼女のお尻にふれようとする。
そして他の者たち同様、地面にキスをすることになった。

そんなこんなで、シスター・アマリリスの美尻は人々を魅惑する。
人々の中の節操のない者たちは、その魅惑のヒップにふれたがる。
そして例外なく、みな痛い目を見る。
こうして街の人たちは、シスター・アマリリスの美尻を敬うようになる。
修道服ごしに浮き出た尻のラインを見て楽しむだけに留めるようになる。
たまによそからきた新参の冒険者が、彼女の尻にふれようとするが。
もちろん、地に伏す結果となった。
そんな彼女の尻を、街の人々は畏敬の念を込めてこう呼ぶようになった。
シスター・アマリリスの魔性のヒップライン、と。

「……ふーん」

少女が語り終える。と、くまがつまらなそうに相槌を打った。
いや、話自体はそれほどつまらなくはない。
なぜ、シスター・アマリリスのお尻がそれほどまでに人を惹きつけるのか。
なぜ、シスター・アマリリスはそんなにも強いのか。
気になるところもある。
しかし、それを話す少女は上の空。
くまはそれが気に入らない。
少女の才覚があれば、どんな話でもそれなりにおもしろく語れるはず。
これまでの会話から、くまは少女を評価していた。

「うーむ、そんなにショックだった? 自分の名前が違ってたこと」
「…………」

ご主人様の問いに、少女は答えることができなかった。

「やれやれ、こりゃ重症だな」

くまは両手のひらを上に向けて、お手上げのポーズをとってみせた。
ちなみにくまの腕は、ぬいぐるみの腕。肩から手の先までの短い円筒形。
そんな腕の手首と思しき部分がちょこんと曲がっている。
それがなんだかかわいい感じ。

「ソフィーリア・エーテルハイド・アークライト」

くまがステータスにある少女の本当の名を呟くように口にする。

「ま、ちょっと仰々しい名前ではあるよね。君、ひょっとしたら、どっかの貴族がメイドに孕ませた隠し子だったりして」

くまは遠慮なく続ける。

「ありがちな話だよね。主人の戯れで身重になったメイドが屋敷を追い出される。職を失い、大きなお腹を抱えた女がひとり、どうにか出産したけれど育てられるはずがなく、そっと孤児院の門の前に赤子を置いて立ち去っていくのでした――みたいな」

くまのありがちな話を聞いても、少女には返す言葉がなかった。

「そもそも、僕がウソついてるとかは思わないわけ?」

それは、可能性としては考えられると少女も思った。
しかし、すぐ心の中で否定した。
不思議とご主人様はウソを言っていないと思えた。
たしかにこのご主人様には人をからかうのが趣味みたいなところがある。
だけど少女の名前が違うなどといって、それにどんな意味があるだろう。
ご主人様がウソを言っていない理由をもっと論理的に説明するなら。
ご主人様がペットな少女をからかうためにウソを言うならば。
もっと意味あることを言うはずである。
もっとエロに走るはず、である。

「むむ、なんかいま、すごく失礼なことを思われてた気がするよ」
「……そんなことありません」

鋭いご主人様のツッコミに、しかし返す少女は精彩を欠く。

「やれやれ」

くまは二度目のお手上げポーズをとった。

「しかたない。今日の残りの時間は自由時間にします」

くまが言う。

「まあ、君もいきなり僕のペットになったわけだしね、心の整理が必要でしょ? 人はひとりになりたいときだってあるしね」
「…………」
「僕は家の中にいるけど、君は外に出るのも自由。森の中で迷うかもしれないし、あんまり遠くには行かないほうがいいと思うけど、それも制限するつもりはない」

そして、くまは椅子からふよふよと浮かび上がる。
二階へ続く階段のほうへと移動していく。

「あ」

と、そこで何かに気づいたように動きを止めた。
くるりと、少女のほうへ振り返る。

「言い忘れてたんだけど」

くまが言う。

「晩ご飯までには帰っておいで」

 

* * *

 

そして少女は湖の岸辺で膝を抱えて長い時間を過ごした。

ソフィーリア・エーテルハイド・アークライト。
アークライト王国。

単純に考えて、王国の名を姓に冠する者は、王族だと誰にでもわかる。
くまの言ったことが真実ならば、少女は王族ということになる。

くまの発言を聞き、瞬時にそこまで悟ったとき。
少女の頭は真っ白になった。
それ以上、何かを考えることができなくなった。
かたちにならない思い。
それらがぐるぐる頭の中を回っているのはわかるのだけれど。
その正確なかたちを見定めることができないのだ。

そうこうしているうちにご主人様の気遣いを受けて。
少女はくまの家がある森の中の湖のほとり。
その岸辺に座すことになった。

森の中で巨木に囲まれていたとき。
少女は自分が小人にでもなったような錯覚に陥った。
その感覚は、空間の開けた湖のほとりにきても変わらずにある。
広漠な鏡のような湖。
少女は長い時間。そこに映る青空を流れる。
白い雲をぼんやりと眺めていた。

こんなふうにしていると、心が落ち着いてくるのがわかる。
そして澄んだ心で見据えてみれば。
頭の中を巡っていたさまざまな思考を捉えることができた。

まず少女が掴まえた感情は、うれしい、というものであった。
少女は想像する。
自分はお姫様だったんだ。
どんな理由でかはわからないけれど。
何か事情があって、少女は産まれてすぐ王城を離れなければならなかった。
そして孤児院に預けられたのだ。
けれど、やがてお城から迎えがやってくる。
少女は立派な馬車やお城の大きさに驚く。
そして王様とお妃様に拝謁する。
ふたりは少女のお父さんとお母さん。
涙を流さんばかりに再会を喜んでくれて。
少女を我が娘として迎えてくれる。
その日から少女はお姫様。
やさしい両親に見守られて。贅沢な生活ができて。
幸せな日々を送るのでした。
めでたしめでたし。

(……そんなわけありません)

つぎに疑心が溢れ出す。
何か事情があってって何?
ここ何年も王国の内情は平和そのもの。
北の帝国とのいざこざが長年続いてはいるけれど、それはもう慣れっこ。
国内では革命も政変も起きてはいない。
現に、国王様も複数いる王妃様も。
何変わらずふつうに暮らしているではないか。
それとも娘の居場所を知らないのだろうか。

(なら、国中におふれを出すなりして探そうとするはずです)

しかし、十二年が経っても。
国王や王妃が失われた娘を探し、迎えにくる気配はない。

となれば、可能性の高い考えはひとつ。
さきほどくまの言っていた推理ではないが。
望まれぬ子を孕んだ女が、産んですぐ捨てたのだ。
誰も必要としていない子を。
だから誰も探そうとなんかしない。

それにシスター・アマリリスは言っていた。

『この先、あなたは、長い時間を、あるいは生涯を、ただひとり、森で過ごすことになるかもしれません』

もし誰かが迎えにきてくれる見込みがあるなら、はたしてそんなふうに言うだろうか。

(こんなふうに森へ捨てるでしょうか……)

本当に、大人というのは身勝手な生き物だ。
捨てるくらいなら子どもなんかつくらなければいいのに。
いっそ、生まれた瞬間殺してくれたほうが、長く苦しまなくてすむのに。

そして、少女は自己嫌悪に襲われる。反吐が出そうになる。
そんなふうに考えてしまう自分が嫌で嫌でたまらない。

喜び、疑心、自己嫌悪。

それらが繰り返し繰り返し少女を襲う。
昔から仲のいい友だちみたいな顔をして。
無遠慮に少女の心の扉をノックする。
そうして振り回される。振り回されて吐きそうになる。

少女が煩悶していると、森にまた夜がやってくる。
まるで街の夕暮れどきと同じ、なぜか心が切なくなるような。
あのオレンジ色の光に森の空気が染まる。
オレンジ色の光は徐々に徐々に薄らいでいき――
やがて森の空気は闇色になる。

森の中の夜は本当に真っ暗だ。
昨夜、少女は森の中で一晩過ごした。
魔石のランプを節約しなければと思いつつも。
その明かりをつけずにはいられなかった。

しかし湖のほとりの闇はやわらかい。
月と星が湖面に映っている。
湖ばかり目を留めて。
自分の思考に沈んでいた少女は、ハッとして空を仰ぐ。
そこには本物の夜空があった。
月と星とが遥か遠くに見えた。

(わたしなんてとてもちっぽけな存在です)

なぜかその言葉だけがふと頭に浮かぶ。

(わたしは、考えてもわかりっこない、わたしの名前を巡るあれこれなんかに振り回されたくありません)

そう、少女の名はメアリ。金髪。碧眼。歳相応の幼女体型。
産まれてすぐ孤児院に捨てられた。
そして十二歳、今度は森に捨てられた。
今日、ご主人様のペットになった。

それがすべて。そう、それが少女のすべてなのだ。

メアリはようやく立ち上がる。

「わああああああああああああ」

夜空に向かって叫ぶ。

「わたしはメアリ! ソフィーリア・エーテルハイド・アークライトなんて知らない! 知らない! 知らない!」

「うぉお!」

すると、背後から驚きの声が上がる。
メアリが振り返ると、そこにくまがいた。

「ご主人様、いらっしゃったのですか」

メアリは少しばつが悪そうに言った。

「いらっしゃいました。晩ご飯の時間になっても帰ってこない君を迎えにきました」

迎えにきた。その言葉がメアリの心になぜか響く。

「勘違いしないでよね! 決して、裸で体育座りする少女の痴態を楽しみにきたわけじゃないんだからねっ!」
「…………」

その言葉もまた別の意味で少女の心に響いた。

「しかし、いまのはよかったね」
「え?」

くまは言うと、少女に聞き返す間を与えずに。

「わああああああああああああ」

夜空に向かって叫ぶ。

「新人類と旧人類の戦いとか、真人類と偽人類の戦いとか、知るか! ぼけぇええええええええええええ! 勝手にやってろ! 子どもにばっか押しつけて、自分たちは夢の中でしこしこやってんじゃねぇえええええええええええ!」

ご主人様の突然の叫びに今度はメアリが驚いてしまった。

「はははははははっ」

くまは子どもっぽい声で屈託なく笑った。

「これ、けっこうスッキリするねぇ」

ふよふよ浮きながら少女のほうを向く。

「よし! 遊ぼう! こんなときは思い切り遊ぼう」

くまはコンソールを操作して魔法を使う。

「え!」

メアリとくまの体が不思議な光に包まれた。

「物理全反射の魔法をかけた。この魔法はすべての物理攻撃を反射するんだけど、それはつまりダメージ――衝撃を反射するわけで」

くまは言いながら、
「こういうこともできる!」
湖に向かってダイブした。

「ご主人様!?」

メアリはとっさのことに大声でくまを呼ぶ、が。

ぼよん。

くまは夜空を映す湖面に、はじかれたように、跳ねた。

「さあ、メアリ! 君もくるんだ!」

くまはぽよん、ぽよんと湖面にはじかれながら、メアリを呼んだ。
メアリは泳ぎ方を知らない。
くまに呼ばれて、湖の岸辺から一歩を踏み出したが。
やはり二の足を踏んでしまう。

「はははははははっ」

くまは楽しそうにぽよん、ぽよん、空色のトランポリンで遊ぶ。
その様子をしばし眺めて。ついにメアリも意を決す。
湖の湖面へもう一歩を踏み出した。

「うわわわっ!」

湖にダイブした少女の足裏が水面に強く当たる。
するとその衝撃は跳ね返る。
少女は自力で跳ぶよりも高く高く跳ね、舞った。

「うぉっ! メアリ! 君、上手だねぇ。ホントに、初めて?」
「は、はじっ、処女、です!」
「あははは、はははは! では、これはできる、かな? 見よ! 美技! クインタプルアクセル!」
「す、すご、すごいです、ご主人様!」

森の中。湖は月と星々を映して静かにそこにある。
しかしいま、ふたつの波紋が広がっては消え、また広がっては消える。
子どもたちのかしましい声が辺りに響き渡る。
メアリとくまは空腹を思い出すまで。夜空のトランポリンで遊んだ。

 

≪つづく≫

 

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