第1話 森に捨てられた少女はくまのぬいぐるみをもらえない。

くまさんと出会った。
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想像してほしい。森を。森をさまよう少女のことを。

少女の名はメアリ。十二歳。長い金髪。歳相応の体躯。
メアリは、森をさまよっている。
すでに一晩、森で過ごしている。

木の根元でまるくなって眠った。
眠る前に背中に背負う袋の中身を確認していた。

ナイフ。水筒。本。

本には森のことが書かれている。
森で食べられるキノコとか、いろいろ。

袋に入るだけのパン。そして、ランプ。

ランプはなんと魔石入りのものだった。
これで光だけでなく火も起こせるし、水もつくれる。
魔法を使えなくても。魔石を消費し尽くすまでは。

(これはなるべく節約すべきですね。しかし、シスター・アマリリスはこれをどうやって手に入れたのでしょうか)

信じられないくらい高価なものに違いない。
とはいえ。
シスター・アマリリスならどんなことでもなんとかできそうな気はする。

メアリはシスター・アマリリスの美しい顔を思い浮かべた。
公衆浴場の、お湯を出す壺を抱えている、女神像のような。
彫刻のように整った無表情。
誰も彼女の、どんな感情的な表情も見たことがない。

背中に背負った袋は、シスター・アマリリスが持たせてくれた。
メアリをこの森に連れてきたのもシスター・アマリリスだった。
より正確には。どこか丘の上にある石碑のところへ連れてこられた。
シスター・アマリリスに。馬に乗せられて。
半日は乗っていたと思う。
お尻がめちゃめちゃ痛くなった。

(いまもまだ痛いです)

メアリは両手で軽くお尻にふれてみる。
ヒリヒリしている。

『私が以前言ったこと、覚えていますか?』
石碑の前でシスター・アマリリスは言った。
メアリは少し考えてから、
『ほうきをつかみなさい。いますべきことは怒りのほうきをつかむことです。それで不安という名の猛獣を追い払いなさい』
と言った。

それを聞いたシスター・アマリリスは、
『……そんなことを言った覚えはありません』
と、はたしてこの人は怒ったり不安になったことがあるのだろうか?
と、疑わしくなるような無表情で言った。

『ですが、なかなかいい言葉ですね』

そして、子どもと視線を合わせるように。
膝を折ってその場にしゃがみこむと。
シスター・アマリリスはメアリの小さな体をそっと抱きしめた。

『…………』

メアリはびっくりして。
とっさに言葉が出てこなかった。身体がこわばった。
シスター・アマリリスに、こんなことをされるのは初めてだったから。

『この先、あなたは、長い時間を、あるいは生涯を、ただひとり、森で過ごすことになるかもしれません』

シスター・アマリリスの声が耳元で聞こえる。

『そのときは、くるかもしれないし、こないかもしれない。しかし覚悟をしておいてください――と言いました』

感情の感じられない、涼しげな声。
なのに。

『そのときは、いま、きました。これからあなたはひとり、森で過ごさなければなりません』

(どうして、何か、伝わってくる感じがするのでしょう?)

メアリは初めて包まれる大人の温もりを不思議に思った。

シスター・アマリリスはメアリと目を合わせる。
メアリはシスター・アマリリスの目を見ながら、

『わたしはもう孤児院にはいられない、ということでしょうか?』
『そのとおりです』
『わたしはまた捨てられる、ということなのでしょうか?』
『……そう受けとってくれてかまいません』
『そう、ですか』

少女の瞳からフッと灯が消えたように見えた。
しかし、それはまばたきをする一瞬のできごと。
再び開かれたメアリの瞳はいつもの輝きを取り戻している。
シスター・アマリリスはその瞳を無表情に見つめ続ける。
そして、それをいつも美しいと感じている。
まるで蒼穹を映す鏡のような湖面を思わせる。碧眼。
波ひとつない湖面のごとき、それ。
とても十二歳のものとは思えない。
シスター・アマリリスの、よく知った瞳。

『怒りのほうきで私を打ってくれてかまいません』
シスター・アマリリスは静かに言った。

『シスター・アマリリスらしくありませんね。そんなことしても、むだにお腹が空くだけではありませんか。院の掃除をしろ、というのであればよろこんで従いますが』

言葉とは裏腹に、本当は。
少女は目の前の大人をめちゃくちゃに打ってやりたかった。
孤児院の生活がいいものだとは、メアリには言えない。
服も日用品も食事も、すべてが不足している。
周囲の大人たちの不十分な愛情を子どもたちが奪い合っている。

(それでも)

どことも知れない森に。また捨てられるよりマシ。

めちゃくちゃに腕をふりまわして。
腕が動かなくなるまで打ってやりたい。

しかしメアリにそれはできなかった。

(道のはじっこを行くように。目立たず生きねばなりませんよ)

他人の迷惑にならないように。

それがシスター・アマリリスのいつもの教え。

そして、シスター・アマリリスも他人だ。

迷惑をかけるわけにはいかないのだ。

『生きなさい。生きていればきっといいことがたくさんあるから』
シスター・アマリリスが呟くように言った。

『今日はいったいどうしたのですか? 本当にあなたらしくありません。そんなくだらない慰めのようなことをわたしに言うだなんて』

『あなたの母親の言葉です』

メアリは息をするのを忘れた。

産まれてすぐ孤児院に捨てられたのだと聞かされていた。
それ以外に親の話はこれまで一切してもらえなかった。
なのに。

(どうして、いま、このタイミングで)

メアリはこれから森へ行く。そこでひとりで過ごしていく。
長い時間、あるいは一生涯。
そんなことが十二の子どもにできるのならば、だ。
すなわち、死にに行くのとおんなじだ。

(そんなときに、そんなこと、知りたくなかった)

知りたい。けど、知りたくない。

シスター・アマリリスはいったい何を考えているのか。

メアリには理解できない。
メアリは呼吸の仕方を思い出すように。

深く深く息を吸って。

『はやく森へ連れていってください』
吐き出すように言った。

ここは石碑のある丘の上。まわりに森らしきものは見えない。

なぜこのような場所に立ち寄ったのか。
もちろん、メアリにはわからない。

シスター・アマリリスはゆっくりと。
メアリの身体を石碑の方へ向かせて、

『その碑にふれなさい』

メアリが言われたとおり、石碑にふれると。

森にいた。

生きなさい。

声が聞こえた気がして。

振り返ってみても。

シスター・アマリリスの姿はそこにはなかった。

そしてメアリは森をさまよい。

木の根元で一晩明かして。

現在に至る。

メアリは森をさまよっている。

何もかもが突然すぎた。
突然すぎて、思い起こせばお別れの言葉も言えてなかった。

(ソフィアによろしく伝えてください、とお願いする間もありませんでした)

ソフィアは唯一、メアリが孤児院で仲よくしていた同い年の少女で。
同じ孤児で。変なくらいにいい娘だった。

(それにしてもあの石碑はなんだったのでしょう?)

あの丘の上の石碑にふれた瞬間、森にいた。
転移魔法の込められた遺物とも考えらえる。
しかし、

(そんな貴重なもの、管理もされず、あんな人気のない場所に放置される?)
わからない。
(それにしてもなぜわたしは孤児院にいてはいけなかったのでしょう?)
わからない。
(シスター・アマリリスはわたしの母親のことを知っていたのでしょうか?)
わからない。

わからない。わからない。わからない。

森をさまよいながら。
考えてもわからないことばかり。
何度も何度も頭をよぎる。
同じところをぐるぐる回っているみたいに。
思い浮かんでは消えて、消えては思い浮かぶ。
疑問。疑問。疑問。疑問ばかり。

(そもそもわたしはどこに向かっているのでしょうか?)

これから、ひとり。森で過ごさなければならないのだ。
目的地などない。
というよりも。目的地がこの森だった。
すでに到着している。
どこかに急ぐ必要なんてない。

そう考えて。メアリは歩くのをやめた。
痛むお尻をかばうように。一本の木の根元に座り込んで。
大きくひとつ息をついた。

(そう)

よくよく考えてみれば。森をさまよう必要なんてないのだ。
袋にはまだパンが詰まっているし。
水もランプの魔石でつくり出せる。
もちろん、パンも魔石もいずれは尽きるだろうけれど。
いま急いで、むやみに森をさまようことはない。
お腹が空いたらパンを食べて、のどがかわいたら水を飲み。
ゆっくり本を読みたかった。
幸い、森について書かれている本がある。
物語ではないけれども。この際文句は言うまい。
読めるものがあるだけ幸せというものだ。

(それにわたしがここで死んだって、誰に迷惑をかけるわけでもありません。なら最期の瞬間まで好きなことを、本を読んで過ごしていたい)

ふと。

(私が死んだら、誰か、泣いてくれるでしょうか)

ソフィアは泣いてくれる気がする。
シスター・アマリリスは……言わずもがな。

メアリは決心すると、背負った袋をお腹に抱える。
中をゴソゴソ、奥から本を取り出そうとした。

そのとき。

遠雷を思わせる轟音が低く森に響いた。やがてバキバキと枝が折れる音。
そして、どずーん、と。筋肉隆々の巨大な生物が降ってきた。
それを追うように折れた枝々がばらばらと落ちてくる。

驚いたメアリがばっ、と顔を上げる。
すぐそこに何かとんでもないのが落ちてきた。
森の木々は太く、大きく、ゆえに木々の間の空間も広い。
その空間に、何か、大きな生き物が。損傷の激しい生き物の死骸が。
メアリが見ている目の前で。
何か、光の粒子を出しながら、消えていく。

光の粒子は天へと昇っていく。そして。

袋に片手をつっこんだまま、身じろぎひとつできないでいる。
メアリの視線の向こう側から。何か、ふよふよ。
こちらに近づいてきている。

メアリは動けないまま、それを見ていた。
ふよふよと近づいてくる。それ。

見えた。

近づいてくる。茶色いもの。
それは何か。

くまだ。くまのぬいぐるみ、だ。
黒い、つぶらな瞳が愛らしい。
首のところに赤いリボンが結ばれている。

くまのぬいぐるみ。

浮きながら。こちらに向かって。ふよふよとやってくる。

メアリは立ち上がって逃げ出したい衝動に駆られた――いや。
茶色い何かを認識した瞬間から、逃げたい衝動に駆られている。
しかし動けない。動くことができない。

(動いたら、死ぬ)

なぜか、その思いが少女の小さな胸に去来した。

くまのぬいぐるみだ。愛くるしいまでのくまのぬいぐるみ。
プレゼントにもらえたなら、きっと少女は、飛び上がって喜ぶだろう。

くまのぬいぐるみ。

しかし、それが見た目どおりのものでないことを。
なぜか、メアリは、予感する。

ふよふよと。

くまのぬいぐるみは、メアリのすぐ前までやってきて止まる。
宙に浮いている。くまのぬいぐるみが、

「いやー、ちょっと飛ばしすぎたなぁ――って、あれ? 人間? ……」

喋った。

「じゃ、選ばせてあげる。僕のペットになるか、それとも食料になるか」

 

≪つづく≫

 

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