ルリドラゴン【マンガ】の読書感想文【この世界の残酷な真理】

マンガは怒られそう

ルリドラゴンが売れている。とのことで、将来売れたい私もこの機会に読んでみることにした。結論から言ってしまうと、私には少し読むのがつらかった。なぜなら、本書を読んで抱く感想によって、人は二種類に大別される。すなわち、ただ単純に面白ければ陽キャ、読むのがつらくなれば陰キャだ。

主人公の青木瑠璃は女子高生。ある朝、起きると、頭にツノが生えていた。とくに慌てるでもなく、母親に見せると、じつは自分がドラゴンと人とのハーフであることがさらっと明かされる。ルリは戸惑いつつも、とりあえず学校へ。クラスではみんな、ルリのツノに興味津々、一躍人気者状態に。だが、授業中にくしゃみをしたらファイアブレス。そのまま血を吐き、保健室へ。その後、療養と火を制御する練習のために学校を休むが、通学への不安からそのまま引きこもり。しかし、周囲の理解に助けられ、再び登校するようになる。先生もクラスメイトも優しくて温かくて、みんないい人たちで、なんだかこれまで通りに生活していけそうな雰囲気。ところが、またしても授業中に、今度は身体からサンダー。はたして、ルリの運命や如何に。

とまぁ、こんな感じで話は進んでいくのだけれど、これを読んでいる先生がもし、すでにこれだけの情報で私が抱いたのと同じ、とある違和感を覚えていたなら、相当陰キャ度高そうだな、仲間だな、と私は勝手に考える。はたして、そのとある違和感とは。

それは、主人公たるルリが、朝起きて突然頭にツノが生えていたにもかかわらず、さして慌てた様子も見せないところや、それを相談された母親が「あんた半分人間じゃないしな」と淡々と明かす場面などではなく、ツノの生えたルリが学校に行くと、一過性の転校生人気よろしく一躍クラスの人気者になっているシーン。いや、ありえないだろ。

ルリのツノを見たクラスメイトたちの反応は「ホントに生えてんの?」「かっけー」「触っていい?」「かわいい~」「俺も触っていい?」「えっ、じゃオレも」「男子はダメに決まってるでしょ」「何これマジで生えてんの!?」「写真撮っていい!?」とこんな感じ。いや、そんなわけないでしょ。

二度、三度と繰り返すが、現実の学校でこれはない。想像してほしい。もしもクラスメイトがある日突然、頭にツノを生やして登校してきたら。はい、大多数は絶対に引く。話しかけるのも躊躇われる。たぶん、社交性のある女子生徒や剽軽者の男子生徒が「何、それ?」と話しかけてくるだろうけど、まさか本当に生えているとは思わないに違いない。作中の岳本先生も言っているが「何か新しいファッション?」と思うに決まっている。そして、これがファッションだと確定すれば、クラスメイトたちの態度もまた決まってくる。「うわ、ダサ」「あれはない」「イタすぎ」「明らか-10点だよね~」。まぁ、こんなものだろう。

彼女はこの日からスクールカーストの最底辺に落ちたとしても不思議ではない。とはいえ、これは私の想像する現実であって、実際にルリのようにクラスに受け入れられる現実も否定はできない。

なぜだろう。私とルリとの違いは一体何だろう。はっきり言って、それは『かわいい』の一言に尽きる。現実の話でも、例えば、読モをしているような可愛いクラスメイトが、ある日突然ツノを生やしてきたら。ツノもファッションに見えるくらいに可愛かったら? たぶん周囲からの反応は、かわいいドラゴンの子であるルリの場合とさして変わらないものが示されるに違いない。しかし、これが醜いアヒルの子である私みたいな奴ならどうか? 言うまでもないことは言うまでもない。間違いない。

そうなってくると、授業中、ルリのファイアブレスで後ろ髪を焼かれた吉岡の態度もあやしくなってくる。吉岡は後日髪を切っていて、「まあ伸びてきてたし、火傷もしてないからいいよ別に」とルリを快く許しているが、そんな馬鹿な。それもこれもルリがかわいいからでしょ。ねぇ、そうなんでしょ、吉岡、青木さんのこと好きなんでしょ。邪推してしまう。これがもし私だったら、吉岡は許してくれただろうか。はい、みなまで言うな、もう分かってるから、十分に理解していますから、頼むから。

このように、現実はかくも厳しく、スクールカーストは厳然として存在し、子供たちは少しでもヒエラルキーの上位に食い込もうと、あるいは現在の位置を死守しようと、日々躍起になっている。だからもし、他者を貶め、自分が這い上がるチャンスがあれば、それを逃さず行動するだろう。

物語の後半で、ルリが火を吐いた後、母親が教室に来て、謝罪と説明をしていたことが明かされるシーン。その事実をルリに話してくれたクラスメイトの神代さんは「見えないところでルリちゃん達が頑張ってることだから、あたし達が怖がることじゃないかなって」と理解を示すが、さて、現実ではどうだろう。

いやいや、謝って済む問題じゃないし。これが男子の髪じゃなくて女子の髪だったらもっと大事になっていたし。私の好きな吉岡の髪を燃やすなんて絶対に許さない。てか、龍の子供ってことは、あのお母さん、龍とセッしたってことだよね。龍って大蛇みたいなものだよね? 何だか違う漫画みたいなんだけど。でも、龍とセッって、一体どうやってしたのかしら。菊一文字? それとも、獅子舞? はたまた、時雨茶臼なのかしら?

当然、ルリドラゴンはアニメ化を見据えている都合上、著者もこんなことは描写できないかもしれないけれど、現実の反応とは、まぁ、こんなところだろう。みんな思春期だし、仕方ないよね? ちょっと品がなくて言い過ぎていたとしても許してくれるよね? ダメ?

しかし、この現実も、非難の的がルリのようなかわいい女子だったらどうか。つまり、読モの子だったらどうだろう。みんな前述のようなことを思っていても、決して口には出さないはずだ。吉岡が許すって言うなら、それでいいじゃんって、なるんじゃないか。さすがにカースト上位にしかけるのはリスクが高すぎる。もしも失敗したら、自分の方がカースト落ちしてしまう。その危険性がある以上、下手な博打を打つわけにはいかない。

はぁ、つらい。読むのがつらい。かわいいルリと醜い私と、美しい漫画の世界と厳しい現実の世界と。比較して、ため息が止まらない。漫画の世界が美しければ美しいほど、自分が愚かで汚い矮小な人間だと感じてしまう、ってこれまさに『世界は美しくなんかない。そしてそれ故に、美しい』って、前の読書感想文で学んだやつだ。

しかし、どうして私はこんなにもルリドラゴンを読むのがつらくなってしまうのだろう。この物語の中に出てくる人は、母親だったり、先生だったり、クラスメイトだったり、みんな温かくていい人たちで、本当に、こんなにも優しい世界があったらいいのに、とは思うのだけど。実際には、そういった空想に逃げ込むよりも、現実の世界と比べてしまって、なんだか無性にやるせない気持ちになってしまう。他の同系統の漫画でも多少はこうなってしまうのだけど、ここまでひどくはならない。ルリドラゴンは決してリアリティがある方の作品ではないと思うのだけれど、やたらと私にリアルを想起させる。その点、ある意味、非常に優れた漫画である。あと、登場する女の子たちの絵がとってもかわいい漫画である。よかったら、先生もぜひ読んでみてほしい。そして、この謎を解明して、私に答えを教えてくれることを切に願ってみる。

そんなわけで私が今回、ルリドラゴンの読書で悟ったのは『かわいいは正義』という、この世界の残酷な真理だ。

ああ、こんな世界で暮らしたい。と思えば、こんな世界を自分で作ろうとしなければならないのだとは分かっている。そのためには運動も勉強もトップを目指して、とくに容姿は絶対に磨かなければならないだろう。そうして、スクールカーストの頂点に君臨するより他にない。

とはいえ。私もルリのように可愛くなりたいものだが、現実的にかなり厳しい。だって、運動と勉強はともあれ、ただの学生が整形するだけのお金を稼ぐのって不可能だし。大会はまだまだ先だし。整形したとして、その後、どこかよその学校に転校してリスタートしなければ意味ないし。ああ、可愛い人たちは可愛く生んでくれたって、その一事だけでも親に多大なる感謝を捧げた方がいいと思うよ、本当に。

とかなんとか。まぁ、私の場合、そもそもこの性悪な性格をなんとかしなきゃいけないんだけど。陰キャをどうにかしないとだけど。はぁ、陽キャはこんなこと考えず、ただただ純粋にこの物語を楽しむことができるんだろうな。羨ましい。私もルリドラゴンの世界の人たちみたく、温かくて優しい人になりたい。もう、可愛くなくたっていい。陽キャじゃなくていい。ルリみたいなハイブリッド陰キャに、私はなりたい。……って、あれ? でもこれってやっぱり、つまりは可愛くなりたいってことじゃんね。あれ?

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