キノの旅の序文にはこうある。『世界は美しくなんかない。そしてそれ故に、美しい』。前半部分には私も大いに賛同する。この世界では、元は同じ一つの細胞から進化、派生した、いわば兄弟とも言うべき生き物たちが日々、騙し合い、奪い合い、殺し合い、喰らい合っている。ある種の鮫は、母親の胎内で兄弟たちが共食いをするのだと聞く。確かメガロドンとかいったと思う。人間は生きたままの栄螺さんを直火で残酷焼にして食す。生け簀で他の仲間たちが泳いでいる横で、生きた状態で捌かれる穴子さん。ひどい、これから我々は日曜日の夕方に一体何を見ればいいのか。もちろん、これらの仕事を引き受けてくれている板前さんなどの人たちには感謝をし、同等の罪を私も感じるよう努めながら毎日の食事を頂いているわけだが、しかしこれほどの地獄はどこを探したって見つからない。そんな私が引っかかった後半部分。だからこそ世界は美しい、というところ。いやいや、そんなことないだろ。
プロローグ、夜の森の中で野宿をしている主人公のキノは、相棒である話しができるモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)のエルメスに大体次のように語っている。自分が愚かで汚い矮小な人間だと感じたとき、自分以外の世界や他者の生き方などがとても愛しく思え、それをもっと知るために旅をしている。これすなわち、逃避である。地獄で生きるには、凄惨な事実からは目を逸らしていなければ、生きにくい。自殺したっておかしくない。つまり、我々は生きるために、見たことのない物を見、食べたことのないものを食べ、会ったことのない人と話し、旅をする。そうか。人間は真実が残酷であればあるほど、それ以外のものをより美しく感じられる、相反する性分を抱えているんだな。なんとなく納得してしまった。
こんな感じで、キノは私にはとてもよく共感を覚える人物像だ。その理由は、キノが非常なリアリストであると感じられるから。一例を挙げる。キノの旅はタイトル通りキノがいろんな国を旅して回る連作短編の形式で綴られていて、第六話に平和な国という話がある。今回、キノが立ち寄った国は隣国と百九十二年もの長きにわたって戦争を続けているが、十五年前から互いの国同士ではまったく殺し合いをしていないという。それは、付近に住んでいる未開人の部族を浮遊車両に乗って追い回し、全自動連射銃にて撃ち殺し、殺害した人数の多寡で勝敗を決する競技が行われているからだ。キノは歴史博物館で館長の案内を受けてその事実を知り、翌日には実際に戦争を見学、さらに翌朝、戦勝記念でタダ同然まで安くなった携帯食料をエルメスに積めるだけ買い込んで何事もなかったように出国する。そんなキノがエルメスに跨り走っていると、未開人の部族たちが道を塞ぎ、復讐のために誰でもいいから殺したい、この憤りを少しでも晴らしたいと、キノを襲撃。キノはパースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)で襲い掛かってきた部族の若者の右腿を撃ち、逃げ去って行った。どうよこれ。主人公といえば、持ち前の正義感で次々と事件や問題を解決していくものとばかり思い込んでいた、たぶん少年漫画の読み過ぎな私は衝撃を受けた。キノの旅の主人公たるキノは何にも解決していない。逃げ去っている。斬新である。
同時に、キノの旅の物語は私の妄想力を刺激する。読んでいる途中で、私のキノの旅が勝手に走り出す。例えば、彼女が立ち寄ったある国で大地震に遭遇し、崩壊した建物だとか地下だとかに、その国の人々と閉じ込められてしまう。閉鎖環境の中には、年金暮らしのお婆さんやら女児を抱えた母親やら百合ップルやら普通の女性会社員やら女社長やら女子大生やら女子高生やらJCやらJSやら、さまざまな人たちがいる。救出や脱出は困難な絶望的状況、当然、水や食料の問題が発生。彼女は旅人だから幾日かの備えとして携帯食料や水や燃料などを持っているわけだが、はたしてそれらを閉じ込められた人たちに分け与えるのだろうか、みたいな。自分が生き延びるためには少しでもシェアするなどありえないけれど、しかし現実的に相手は大人数、いくら彼女がパースエイダーの名手であっても一斉に来られたら厳しいだろう、殺されて奪われるよりは分けてしまったほうがじつは生存率が高いかも、みたいな。それとも先制攻撃で牽制、手持ちの水や食料は自分だけで消費、いざそれらがなくなったなら、先に死んでいった人たちの死肉を燃料で焼いて貪る食人さえ避けないのでは、みたいな。ほら、やっぱり、この世界は美しくなんかない(注・この話は私の勝手な妄想であり、本書には一ミリも書かれていない)
そんな私がキノの旅を読んで得たものは、こうした思索である。人はパンのみにて生きるにあらずというが、自殺をしないための精神的充足もまた必要、そのために仏教だったり、キリスト教だったり、イスラム教だったり、ボコノン教だったり、グーグル教だったり、おいおい教だったり、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教だったりがあるのだろう。さりとて、宗教に囚われ過ぎても視野を狭くする。戦争が起こる。美しいものばかり見て、残酷な現実が見えなくなってしまう。そうならないためにも、この本を読んで、キノの旅、生き方に触れられたのは有益であったと私は考える。キノのように、私も生きたいと願う。
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