瓶詰地獄【夢野久作】の読書感想文【アヤ子が男の名前でなんで悪いんだ?】

短い本は怒られそう

そうか、地獄とは世間のことだったんだ。瓶詰地獄の読書はそんな思いを私に抱かせる。

そもそも私は、この地球こそが地獄であると日頃から考えていた。

以前の読書感想文でも書いたが、この星では、もともと同じ元素から誕生した、いわば兄弟とも言うべき生命たちが、互いに騙し合い殺し合い喰らい合っている。

これほどの地獄が他にあろうか。

このように、もしも地球を大きな地獄であると仮定するなら、そこはいくつもの小さな地獄で成り立っているはず。

そして、世間こそがその小さな地獄の一つであり、まさに瓶詰地獄と呼ぶにふさわしい概念であると、私は蒙を啓かれる思いがしたのだけれど、はてさて、どうだろう。

そんなわけで、なぜ世間こそは瓶詰地獄だと、私が考えるに至ったのか、以下書き綴っていきたい。

まず、瓶詰地獄は1通の公文書+3通の手紙で構成されている。

冒頭の公文書は、ある島の村役場から海洋研究所に宛てられたもので、その内容は、潮流研究用に流された瓶とは別件と思しき手紙入りの瓶が3つ漂着していたので、一応送付致しますといった感じ。

続いて3つの瓶の手紙の内容が、おそらく開封された順に開示されていく。

第一の瓶は、哀しき二人が両親に宛てた遺書の形となっており、きっと自分達が一番初めに出した瓶の手紙が発見されて、ついにこの無人島に救助の船がやってきた、けれど、二人は犯した罪の償いのため、崖から身を投げねばならない。

第二の瓶は太郎の独白。十一歳だった太郎と七歳だったアヤ子がこの無人島に流れ着いて十年ぐらい経った。ヤシの実やパイナップルやバナナ、鳥や魚などをとって食べ、壊れたボートで小屋を作り、漂流時の持ち物の一つである聖書を読んだり、学校ごっこでアヤ子に言葉や文字を教えたりと、島での生活模様が綴られ、私達は幸せで、この島は天国のようだったと語られる。しかし、そこに恐ろしい悪魔が忍び込んできた。肉体が成長するにつれ、太郎とアヤ子は互いを男女として意識するようになるも、それは神様の禁責を恐れなければならない行いで、二人はそれぞれに煩悶する。最後に、この島は地獄となった、と太郎は記す。

第三の瓶は、太郎とアヤ子が無人島に流れ着いて間もない頃に書かれた短いもので、『オ父サマ。オ母サマ。ボクタチ兄ダイハ、ナカヨク、タッシャニ、コノシマニ、クラシテイマス。ハヤク、タスケニ、キテクダサイ。』と二人が兄妹であったことが明かされる。

う~ん、インセスト。

つまり、瓶詰地獄とは、旅行か何かで船上にいた幼い兄妹が、たぶん嵐に遭って二人きり、無人島に流され、時が経ち、そこでインセストタブーを犯して、無垢だった頃には天国にも思えた島が地獄と化す様子、それが綴られた手紙を封入した瓶――まさに地獄が詰められた瓶との意味がタイトルに込められた作品である、と要約できそう。

そして、この島を地獄にした原因を突き詰めていくと、地獄とは世間のことであるという、この結論に辿り着くのは、はたして私だけかしら。突き詰めていきたい。

初めに、島を地獄にした最も分かりやすい原因は、やはりインセストタブーだと思われる。

第二の瓶の内容を読むに、太郎とアヤ子は聖書を読んで言葉や文字を学習しており、手紙のところどころに神への祈りや懺悔が綴られている点なども考慮すると、生まれてきた子供の遺伝的な多様性が失われ、病気に弱くなったり、手や足に欠損が生じたりする恐れを危惧していたわけではなく、ただただ純粋に宗教的感性から、兄を、妹を、異性として好きになってしまった事実に思い悩み、苦しんだのだと理解できる。

しかし、第一の瓶の内容で救助船の姿を確認するまで、二人はなんやかんや地獄となった島で生きていた。

これはいけないことなんだ、やってはいけないことなんだ、と自ら命を絶とうとするほど、欲望と罪悪感の狭間で苛まれるのは、確かにつらいだろうなと想像する。

けれど、人間、そうした苦しみだけをいつまでも抱えて生きていけるだろうか。苦しみは苦しみとして抱きながらも、他に楽しいことや幸せなことを見つけて生きていけるのが人間ではなかろうか。

太郎とアヤ子も手紙に書かれているような苦悩ばかりではなく、兄妹ながらも愛する人と世間から離れ、二人きりで過ごす日々に幸福を感じていたに違いない。天国から地獄と化した島は、今一度、天国として二人の前に顕れたのだ。

ところが、再び、悪魔はやってくる。

そう、第一の瓶の内容にある救助船。これを確認したとき、二人が恐れていたのは、本当に神罰だっただろうか。

助けに来た父母の目、救助員の目、二人が無事島から出た暁には大々的に報道されるだろう、その報道に触れる人の目を、恐れたのではないだろうか。

そう、それら人々の目こそ、すなわち世間。

こうして、またしても世間という地獄を目の当たりにした太郎とアヤ子の兄妹は絶望感MAXとなり、第一の瓶の内容のような遺書をしたため、崖から身を投げる決断を下したのだ。

報道が人を不幸にするようなことって、結構あるって気がしてる。

例えば、犯罪加害者家族だったり、被害者家族だったり。身から出た錆とはいえ、芸能人の不倫報道なんかも、一般人よりは世間で生きにくい状況を作ってしまっているだろう。

さらに、近年ではSNSの炎上など、もはや一般人でも油断できない。

そんな世間という地獄から逃れるためには、SNSを直ちにやめて、太郎とアヤ子のように人の目の届かない無人島で生きていくより他にない。では、もしも無人島に持って行くなら一体何がいいかしら? 無人島の海辺で独り、精神に過負荷を感じながらもきっと楽しく読むことができる、あの作家のあの小説にしようかな?

などと、はぁ、それができればどんなに楽かと、私もたまに考えないでもないけれど、現実にはなかなか難しく感じてる。

だって、楽しいもんね、SNS。無人島に持って行くなら、やっぱり衛星通信対応端末は絶対欠かせないわよね、電子書籍も読めるわけだしね。

ちなみに、SNSが楽しいといえば、この瓶詰地獄という小説、いろんな読み方ができて楽しいと、SNSの同好の士たちの間では専ら呟かれている。

例えば、太郎とアヤ子は本当に兄妹だったの? じつは兄弟だったんじゃない? だって、本文中に妹という文字は一文字だって書かれていないし、『兄妹』も意味深に『兄ダイ』表記だったりして、ひょっとして、太郎とアヤ子は兄と弟で一線を越えてしまったのではないかしら、キャーキャーなどといった腐腐腐と笑える意見も散見され、非常におもしろい。

そこでおまけに、一線を越えてしまったといえば、恋人以外と子供を作る行為に及んでしまったときに用いられることがありますとAIが言っているけれど、子供ってどうやって作るの? ふと疑問に思い、父のアトリエに走っていって質問をぶつけてみたところ、その回答を、本編とはあまり関わりがないけれど、まだ知らない同輩たちのため、ここに記しておきたい。いずれ授業で習うとはいえ、早いに越したことはないよね。夏休み明けの読書感想文の発表会で声高らかに読み上げたく思う。

さて、子供の作り方にはコウノトリ法、キャベツ畑法、エスイーエックス法など多様な方法があるそうだが、この度、紹介するのは、パラケルスス法である。

まず、フラスコの中に人間の精液と数種のハーブと糞を入れて密閉し、四十日間置いて腐らせる。すると、そこに透明な、ヒトの形をした小さなナニカが顕れるため、毎日そのナニカに愛し合う二人の血液を垂らして、およそ38℃で保温。それを四十週間保存すると、人間の子供ができるんだそう。

……え、私って、そんな感じで生まれてきたの?

フラスコの中で、お父さんの精液と数種のハーブと糞が腐った中から生まれてきたの?

だから、ハーブにちなんだ名前なの? 精液や糞の方じゃなくてよかったねって言いたいの?

私って、まさに瓶詰地獄から生まれてきたの? 腐腐腐……(涙目)

私は今回の読書を経て、世の中にはいろんな瓶詰地獄があるんだな、改めて悟った。

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